LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

その2(ネタバレ注意)

結論:スパロボをやると人間に対する誤解が生じる。

 

とりあえず、Vについては、

・主人公の頭が悪い

・敵が完璧な機械であるにも関わらず、愛を知らない

・愛を知らないから負ける

・敵が仲間になったが明らかに何百人と殺した重犯罪者である

・それにも関わらず逮捕されない

 

といった、リアルじゃない、まさにスーパーな思考を行っているため、リアルじゃない。だがスーパーを謳っているので許されるのかもしれない。

 

私は女性主人公を選んだのですが、彼女については、

・突拍子もない

・明るいが頭が悪い

・AIを人間扱いする

・姉気取りをする

・その場の考えだけで動く

・精神論だけで動く

 

など、自分の名前にしなくてよかったな…と言わざるを得ない。その頭の悪い子もラスボスにいちゃもんを付けて、波動砲を突きつけながら「お前は愛を知らないから負けるんだ」と言うのである。

 

ラスボスのAIもAIで、その意を汲んで愛は形而上学的でファンタジックで言葉に尽くせない概念だ、ということにして、やられてくれるので始末に悪い。

 

超文明なら愛なんてものは既に研究されつくされていて当然である。そもそも自ら超と付けているだけで、気を遣ってくれているのかもしれない。普通、どこまでいっても文明は文明である。文明はどこかで終わらない限り、その時点での文明を超越し得ないからである。また、例えばタイムマシーンがあって、過去・現在・未来に行き来出来る場合の、現在から見て未来の技術を「超」文明ということは可能だが、未来に行ききった(技術的発展がもう無い)現在文明は、未来が無い文明がとりあえず超文明を名乗り得るとは思うが…実際、そういうことは無いと思う。

 

スパロボのシナリオは、所詮…という感じもする。戦争系のゲームで一番良かったのは、初期のGジェネだろう。アクシズVに関してはジャンルが違うので比較はしない。Gジェネにしてもifや時代を越えて参戦してくるごった煮的システムを入れてしまったことで、過去の歴史再現シナリオには最早帰れない時点で過去作に勝てない気がする。

ただ改変にしてもリアリティがあれば許容出来る場合もある。

 

まぁ、大凡、原作再現シナリオゲームこそが至高と、私は思うので、アニメを見る代わりに大雑把にストーリーを知りたいなみたいな、感じではGジェネF辺りが最高であり、そこに今どきのアニメーションやUIを組み込んでくれると良い感じになると思う。今Fをやると、ifシナリオで無闇にご都合主義を入れてしまうことで最終的に、石波ラブラブ天驚拳で全部クリアみたいな、今回の愛こそ全て、技量とか関係無いから、みたいなスーパーなシナリオになってしまうのは残念なところである。

 

スパロボVの戦闘アニメーションについては、やはり進歩しているし、個人的に良かったのは、Zやνガンダム、ヤマト、ダナン(フルメタル・パニック)、マイトガインのダブル動輪剣辺りのアニメーションが良かった。逆にエヴァ13号機や、ダイターン3のザンバー、ザンボット3等、分かりにくかったり、くどいと感じるものもあったが、そういうアニメは最初だけみてスルーした。結果的にレーヴァテインを駆る宗介がエースになった。ボクサーを一発撃つだけ、みたいな…。ラムダ・ドライバ時と通常時のアニメの演出が変わるのも良い点。

50機にエースプラウドというスキルを付けた際にエースになるというシステム上のエースではなく、主にボスを削る役としてのエースに宗介がなった。あとはルリかな。盛ったのは…。あと、おすすめはマジンガー系の装甲を最大強化して援護防御を付けること。その周辺に運動性の高い機体を置いとくと、結構、保険になる。

 

宗介の攻撃は気力200、アタッカー、ラムダ・ドライバ、サイズ補正差無視、再攻撃から繰り出され、良い時は、6万くらいのダメージになったりした。あとAIが熱血を覚えるので、効果があるかは微妙だが、熱血と魂を重ねられる。また戦術待機により、二回行動する。強すぎるので削り役に向かず、ボス戦専用みたいな感じなので、戦術待機で置いておくのに向いてる。

 

ナデシコは最大改造でグラビティブラストがだいたい1万を超えるし、燃費が良いのでそんな攻撃を打ち放題だと思う。また援護攻撃と援護防御を付けることで盾になり、追撃になり、指揮範囲(+電子の妖精)の恩恵も受けられると良いこと尽くめである。戦術待機もとりあえず付けてみた。

 

他のおすすめはブライト艦長の駆るラー・カイラム。クロス・アンジュから参戦のサラマンドラ様。この二人は周囲の機体の気力を毎ターン上げてくれる地味ながら効果的な補助効果を得られる。

 

主人公機は一応全改造したのだが、主人公の性格が好きになれなかったのであまりスキル改造はしなかった。あと主人公機のアクションもあまり好みでは無かった。ミサイル系が私は好きなのだが、一番良かったのは、Zのグレネードランチャーかな…。地味だが、発射から直撃までの時間が短くかつ兵器としての説得力があるというか…。

 

νガンダムアムロを外してリアルガンダム系の人たちの撃墜数稼ぎに役に立った。勿論全改造で、あとはエンブレムを付けて常にポイント2倍にし、希望の精神コマンドを付けて、1ターンに5回くらいの行動を可能にして戦わせた。νガンダムの戦闘アニメはスタイリッシュなので何回も見た。バズーカの打ち方とか、驚く。構える必要も無いのか…。ちなみに最大攻撃力もかなりのものになる。おおおおおお!

伊達じゃない。

 

閑話休題

 

平行世界、多数宇宙みたいな分岐世界系にして、無理やり作品を同一世界上に多数出演しなければならないご都合を付けないといけないという厳しいルールがあるが、そのルールのために、こうずいぶん昔の作品の頭の悪い事情で地球に侵略してくる敵とかが、参戦してくるのもどうかと思う…。

 

スパロボスパロボであるために誂えた設定の割を食らってるのがボスキャラでは無いだろうか…。みんな愛を知らないからやられた、ということになってしまった…。エンブリオさんとか、戦闘アニメは、なんかガンダムWのリリーナのEDみたいな微妙にモデルっぽい格好いいものだったのに、シナリオ上やってることは、どうみても愚かで哀れでエロ同人にいそうな感じであった。神のような設定なのにやってることが明らかに駄目な人選によるハーレムの形成とか…。

 

とりあえず世界をまたにかけて暗躍するにしてはしょっぱい残念な性癖のあるボスであり、それ故、ヒロインの殆どから死体蹴りを喰らって退場するとか、哀れでしか無い…。

 

生理的に無理とかモラハラですよ。敵だからモラハラして良いのか、ということをスパロボには考えてほしいな…。とりあえず、彼のような哀れなボスキャラを増やしてはいけないと私は思う。味方であるはずのレナードにも最終的に蹴られた…。キモいって。酷すぎる。道徳性も格好良いボスキャラを作って欲しい。仲間になる必要はない。

 

やはりロリコンでマザコンの疑惑のあるシャア総帥に出張ってもらうしか無いのだろうか…。

 

プレイヤーとしては、何というか、いじめの現場に居合わせて、いじめられっ子を罵倒した挙げ句、自分の分身たる主人公まで、そこに参戦して、最終的に精神コマンドで物理でフルボッコ…という状況に出食わす、というのが信じられないが実際に起ったことだ…。いじめられっ子の自業自得と言う人もいるだろうが、いじめられっ子の自業自得だとしても虐めてはならないというのが現実のルールである。

 

そんなことも知らず勧善懲悪を騙る酷いシナリオが良シナリオだったとか、そういう評価を受ける事自体がもう、スパロボのシナリオにみんなあまり期待していないんじゃないだろうか…と私に思わせた。

 

ガンツの西君が受けた仕打ちみたいな感じ…といえば分かるだろうか。西君は、最初自業自得であるものの、ネコ殺してたキモい、と言われ、最終的にみんなに胴上げされて、教室の窓、恐らく3階?(2階?)から放り投げられた(普通は死んでる)ちょっと普通はあり得ない状況である。

 

エンブリオだけじゃなく、色んなボスがだいたい精神論で口撃された挙げ句物理的に沈黙させられる…という感じで、私としては敵側に対して正当性を持たせた方がシナリオは楽しいと思うのだが、残念ながらあんまり正当性を無いことにしないと、参戦作品のパイロットたちの頭の残念さが露呈してしまうから出来ないのかもしれない…。

 

つまり、雑多なキャラに適当なセリフをライターが想起して描きにくい、みたいな事情があるためなのでは無いのだろうか…。まぁ、だからといって、そのために、なんかとっても頭が悪そうなシナリオを突きつけられるのはどうかと思う…。銃を向けて「あいつNTじゃないからわからないんだぜ」とか言われる敵キャラが…。

 

そんなシナリオになるならば、もう定評のある原作の再現でいいよね、みたいな…。うん。色んな世界をごった煮にした現場で、舵を取るのはやはり難しいのかもしれない…。

 

若干、ガンツっぽかったかもしれない…。ガンツも最終的に自称超文明との戦いで、愛は世界を救う的な話だったような…。タエちゃん…。

 

ストーリーの感想を少し補完しておくと、ボゾンジャンプで時空を越えたり、3つの世界を行き来したりしなければまだ良かった…。とりあえず、ヤマトがワープでイスカンダルを目指す、と言っている時点までは良いと思った…。そのまま一直線にイスカンダルまで行ければよかったのだが…寄り道しすぎた。

 

閑話休題

 

最近ニーア・オートマタをやって思ったのは、オート戦闘には勝てない、ということですね…。私はEasyでプレイしたので、キツイ戦闘は全部、自動戦闘に任せたんですが、まぁ、まず負けないです。

 

これで思ったのは、AI制御で自動化した機械が最強になる、ということで、パイロット要らないよね、という話ですね。パイロットが乗ることで機械兵器は明らかに弱くなると思う。ゲームでは勇者になれても、それは不条理な条件を付けられずにプレイできるからでしか無い。

 

FF12ガンビットみたいなものをもっと突き詰めていけば、というか将棋やチェスのマシーンに人間が勝てなくなるのと同様のことが機械制御によるマシーン操作(戦闘ロボット)でも言えると思う。

 

エヴァで言えばダミープラグにしとけばok…と。サイコフレームとかラムダ・ドライバが人間でしか扱えない、みたいな設定でなんとか勝ってるけど…。愛もそのうちの一つですが…。

 

結論としては完全な機械に対して人間は勝てない、という話である。処理能力が違うので。ただ問題は命題の立て方なんじゃないか、と想う。ルールあるいは命令が無ければ機械は動けないので、どういう命令を下すか、という思考をする機械が必要になって…と、そういう過程を繰り返す。現代は自らプログラミングするプログラムとか、その辺までは研究されている模様である。

 

自ら思考して行動に移せるコンピュータを作って、そこに手足となるドローンとか、身体なんかを与えて、自ら行動に移せる状況を作り上げれば機械の方が優秀な労働力になるだろう、と考えると何時かは、そういう時代も来るのかもしれない。

 

ただ現代はまだそこまでには至っていない。家事ロボットにしてもルンバが精々である。目指すべきは、ハリーポッターとか魔法で片付けするくらいのロボットだろう。

 

まぁ、そういう時代に自分が生まれなかった、という話である。私が生まれたのは丁度、コンピュータの黎明期で、そういう話は過去にしたけど、win98辺りから、順を追って、IT社会が出来ていく過程を追っていくように生きてきた。それ自体貴重な体験であるかもしれない。

 

電話ボックスが町からなくなっていき、人は携帯を持ち、そのうちタッチ操作が出来るスマホへと変わった。またVRやAR技術も最近では取り入れられるようになってきた。あるいは、グーグルでは自動自動車を開発したり、あるいはドローンの研究は、戦争を遠いものにするのかもしれない。

 

まぁ、今のVRはお粗末な技術であるが、ARの方が現実的にやれることが多いような気がする。要するに拡張現実である。

 昭和生まれというと、色んなことの黎明期を見てきた世代だと思う。とは言え、私が生きている間には、未来的なテクノロジーを見ることは無いのかもしれない、とも思う。

 

閑話休題

 

ゲームに関して思うのは、PS4やスイッチ辺りになってきて、大体、スペックとしては色んなゲームを作るのに充実してきたんじゃないかなー、とか。今のマシンスペックで大抵のゲームは作れるんじゃ無いだろうか…。それとも今後も数年置きによりハイスペックな家庭機が出るのだろうか?

 

とはいえ、ゲーム史からすると、PS4やスイッチはある種の到達点でだからこそ、過去の作品がリメイクされたりHDで提供されたり、ということが多くなってきたのではないだろうか。

 

VRに関しては、画質の向上の余地はかなりあると思うが…。また、VRの可能性として全身の運動を用いるというものもあると思うのだが、現段階ではユーザーは座った状態を基本として、180度くらいの要するに前方に向いた状態でプレイすることを是というか、縛りがあるために、ゲーム側も限られたゲーム性でしか応えられていないと思う。

 

PSVRなら無線化(ブルートゥースなり)して、ベッドに座ってプレイ出来るとか、TV画面から離れた開かれた場所でプレイするスタイルに適応しないと、製作は随分制限を加える必要に駆られると思う。現状の問題は有線であること…だと思う。無線化はそう難しいことでは無いと思うのだが…。

 

vitaをプレイしていると、とはいえバッテリーの問題は結構大きいように思える。あとは疲労の問題だろうか。VRにしてもゲームにしても市場がある程度以上広がらないのは、やはりプレイが疲れるというのがあると思う。

 

ゲームは娯楽とされているが、同時に頭を疲れさせる。仕事とゲームを両立させることは、それなりに体力を必要とさせる。MMORPG等は疲れている状態でプレイするとミスを誘発する。

 

私の場合、そのような疲労感は8時間眠ったとしても晴れず、より大きい休息を必要とさせる。睡眠は8時間で十分とする話があるが、頭の疲れを取るには十分であるとは言い難いと私は考える。

 

蓄積された疲労を取ることをできなければ8時間で十分とは言えないということである。ここは話の逆転しているところで、休息を取ることが本来目的であるのに、8時間の睡眠で十分という命題を先に上げてしまうと、疲労を取るという目的に応えられる解では無いと思う。

 

疲労を取るには?

→8時間の睡眠を取る

 

という風に応えているとして、8時間では疲労が抜けない、という実感を持って、8時間の睡眠を取れば良いという解は否定される。十分であるという実感が得られない以上、8時間の睡眠という提示は不十分であり、全般に言えることではない。

 

元来必要なのは、何もしない時間とかリラックスする時間とかそういうものであり、つまりは働かない時間を持たないと疲労を完全に取ることは出来ず、慢性的な疲労状態になってしまうのではないだろうか。

 

例えば、スマホ疲労みたいな話で、スマホを弄る行為自体も、労働と言える。運動と言い換えても良いが、働くという言葉は経済的な活動以外にも、非経済的活動にも及ぶのは当然の話しである。その辺りが分かっていない人もいるが…。

 

発達障害の場合、非経済的な働いてしまうという行為をしがちであり、それで慢性的に疲れてしまっているという人が多いのではないだろうか。まぁ、現状、私はそれほど発達障害者について追っていないので他者の症例まではわからないのであるが…。

 

一般的なサラリーマンについて考えれば、自由時間は休憩しなければ疲労が残るということが多いのでは無いだろうか。私がもう少し若い頃は、自由時間をどれだけ埋めるか、みたいな時間が勿体無い精神が学問に関して必要みたいな風潮があったが、それは若さでクリアしていたようなところがあって、

 

少し歳を取ってみると、休憩することの必然性は体感的に感じるようになってきた。歳を経るごとに、必要な休憩時間は増えていくのでは無いだろうか。その分自由時間を休憩に当てなければ、慢性的に疲労してしまう、ということになるんじゃないだろうか。