LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

エヴァ劇場版・序破急が無料公開されてたから視聴した感想

序「うん。エヴァじゃん」とりあえず使徒倒す

破「ん?シンジが熱血系主人公みたいになっとる。綾波デレ…」シンジ覚醒

急「えっ、だいたい全部シンジのせい?」シンジ叩き酷い

 

と、まぁそんな感じでしたね。急に関しては、たとえ話で要約した記事がネットであったので、それ見ると良いですね。

 

雑な漫画解説もありましたが、それも良いです。最早、急はネタに…。なぜこうなった。カオル君が何故か自分で外したシンジの爆弾自分に付けて死んだとか。はっ?トウジのシャツじゃんこれ汚。とか、槍持つんじゃないの?えっ?みたいな、ところとか。

 

→トウジのシャツ:アベノマスクにカビ生えてたみたいな感じなショックを受けた。衛生管理どうなってんの!新品じゃないんか!

 

とりあえず「ガキ・シンジ」ということで「あれから14年経った」とか言って、舐めプされつつ、なんか周りが歴戦の戦士感出してるところとか、ちょっとイラっとした。ドッキリと言われても頷ける。

 

そして、寧ろ14年経ったのにシンジ居ないだけで進展無かったのか…みたいな。

 

私は観てた時は、なんか初号機覚醒で世界が補完された結果、何やら謎のSF世界線の世界に塗り替わったんじゃね?とか思いました。同じ世界ではなくて、微妙に似た別の世界になってるんじゃないかって。

 

まぁ破辺りで若干、グレンラガン感があるなぁ…とか思ってたんですが。綾波救う下りとか、ビーストモードとかね。とりあえず叫んどけば必殺技出るから、ってスーパーロボット系の話ですよね。

 

あと冬月の「31手先でお前は詰む」シンジ「えっ!」みたいなところ。冬月「(やべぇ飛車角落ちとか舐めプしたら碇の息子つえぇ…適当なこと言ってやめるか)31手だ(ドン」

 

シンジ「えっ?」冬月「それにこんな写真がある(ちらっ」

シンジ「綾波?」冬月「お前の母だ…(ドン」

冬月「(将棋とかもういいや…)こっちのほうが楽しめるだろ…」

シンジ「綾波が一杯…」

 

カオル君…これじゃピアノの森だよ。エヴァじゃないよ。出るとこ間違ってるよ。上達スピード半端ないし、こんなのぜったいおかしいよ…。ピアノの才能見出されて、コンテスト出る流れだよ、こんなの…。

 

自分は旧エヴァが好きかな、やっぱ。まぁ、あとは父親との確執とか、思うに、接近しないで良いと思うんですよね。

 

 

 

 

発達障害者の脳は本を読むことに向いていないのでは無いか

発達障害の症状の一つは思考が分裂しがちなことだと思う。一瞬、気を取られただけで今まで考えていたアイディアが何だったのか知る術が無くなる。

 

また、些事に気を取られやすい。要するに文を読む時に、過去のログを作りながら、前に読み進める、ということが難しいと思う。常に注目は読んでいる文…文字、自体となり、文章の塊を段階を追って論理的に把握することが難しい。要するにこの段落の文章が何を言っているのか、と考えた時、殆どのエッセンスは既に気化してしまっている。

 

文章というのは層を成して意味を形成するものだ、と考えた時、発達障害者の脳では層を成して文章を建設的に理解していく、飲み込んでいくという風には行かないんじゃなかろうか。

 

要するに自分で考える思考回路が障害されてるんじゃなかろうか。

 

 

孤立せざるを得ない発達障害者はどうすれば良いのか

端的に言って、家族でさえ理解して貰えない発達障害者は、結局のところ、社会福祉を信じるしか無いんじゃなかろうか。

 

行き場を失った人は、国民である以上は国が基本的人権を保障してくれるし、市役所や病院に仲介を頼み、行き場所を探して貰うことは可能だと思う。断言出来ないのは、日本が広い国であるということだが。

 

私が接することとなった医療従事者は私のような人を見捨てるような社会では無い、というようなことを言っていたし、私自身、一人暮らしの中で、頼りになったのは、そうした仕事をされている方々に事情を話して仲介を頼む、というやり方であった。

 

まぁ、それでずっと一人暮らしでやっていけるかどうかは、その人の生活環境に加えて、個人の資質の問題だと思うが…。私自身、家族よりは社会福祉(制度)に頼る方が結果として良いんじゃないかと思っている。

 

要するに家族は素人集団であり、(医療や社会福祉の)職員はプロ集団である。経験も自覚も倫理も違うのは道理であろう。他人より家族を信じる、という人もいるかも知れないが、私は家族より他人の仕事を信じている。家族には理屈が利かないことも多い。

 

家庭内暴力が典型だが、それにより通報したところで「喧嘩」とされやすいし、そのままであれば、家庭環境は変わらないし、再び「喧嘩」が起こる可能性もある。先程呼んだ記事では、祖母が孫に殺されたというものがあったが、孫の暴力により祖母が死ななければ喧嘩とされた可能性も考えられる。

 

家庭内においてはジャッジをする人間が居てくれず、常識が通用しないケースも多い。また介護疲れなどを理由とする暴力と言った風に、発達障害者自身も図らずもストレスの原因となり結果、家族から辛く当たられる可能性もある。そして、そうした理不尽は家庭内で問題を抱えるままであれば、当然環境は良くならない。

 

であれば家庭外で問題を共有する。第三者を仲介する、というように冷静で知性的な判定を下せる他者を頼るべきだと私は考える。

 

まぁ、弱者であることを好まない発達障害者もいるだろう。私はしばらく勉強を怠っていたので発達障害に対する知識が不足していると思うが基本的に、自分は障害で無いとか、努力によって乗り越えられるとか、思ってる人を良く見る気がする。ライフハック等でどうにかなると考える人もよく見る。

 

一方、私は基本的に過剰な努力は継続が厳しいし、自身の心身を考慮して無理だと思えば、すぐに諦めることにしている。

 

なんというか、発達障害者が努力を続けなければならない問題があるとしたら、それは一度経験した麻薬を辞めるくらいの努力が日常に必要とされている…くらいにはその努力を継続することは難しいと思う。まぁ麻薬なんて使ったことは無いわけだが。まぁタレントの不祥事なんかを見ていれば、困難さは理解出来る。

 

その結果、慣れず摩耗し続けるとすれば、それは無理をしているのだと思う。努力をすることと無理をすることとは異なる、と敢えて言いたい。

 

僕たちは恵まれて居ないが、日本という国では社会保障で守られることが出来る。そういう意味ではまだ恵まれている。

 

「普通の人と同じように活躍したい」そういう風に思う人もいるかも知れないが、私は当たり前に日々を生きられればそれでいい、と考えているため、思想的には劣っていてもそれで良い、みたいな感じはある。

 

何故障害者が健常者と同じ能率を上げなければならないのか。そうするには大抵の場合、無理をする必要があるような気がする。私は劣っていてもそれでいいと思うし、劣っていることが受け入れられる社会福祉があれば良いのでは無いか、と思う。基本的人権が守られるなら能力的格差は飲み込んで良いと思う。

 

私は散髪屋や医者になる能力があったとしても、そうはなれないと思う。どうしても相手を傷つけるビジョンが頭に過るから。そういう人間はその仕事で最善を尽くすことが難しい、と私は感じたし、そうした人間は散髪屋や医者になる資格が無い、と思う。そういう資格が無い人は、じゃあ仕方ないと思う。だから、機会を平等に保障されたところで、じゃあ努力次第で行きたい場所に行けるか、というといけないと思う。

 

発達障害者の中には努力次第で行けると思っている人もいるかと思うが実際のところ、僕等というのは、全体の中の少数者の内に数えられている。例えば、就職率98%みたいな専門学校があったとして、その就職しなかった2%の中には僕らがいるんじゃないかな、と僕は思う。

 

98%の人は就職出来るが2%の僕らは就職出来ないのである。それに就職したところで、色々な弊害が出てきて、最終的には良くて窓際職みたいになるのでは無いだろうか…。閑職である。

 

思うに僕らは義手や義足があったからといって他者に追いつけるような性質ではないのだ。精神の問題、心の問題、認知の問題、というのは義手義足のように単純に補えるような簡単な問題では無い。

 

発達障害の検査で理解出来るとは思うのだが、僕らは単純な学力では測れない能力が欠如している。発達障害の検査は結果が均衡を保たない。ある能力は高く、ある能力はとても低い、というふうな結果が出る。一般の人は均衡が取れているわけである。要するに僕らの認知はバランスを取ることが出来ない仕様なのだと思う。

 

その不安定さを常時、思考や行動の全てにおいて抱えて生きていく結果が、人より劣るという結果であるが、事はそんなに単純じゃない。劣っているという結果は、努力をすればいつかは追いつけるというようなものではない。かけっこでハンデを付ければフェアになるというようなものではない。メートル法の世界でインチ法の定規を使わざるを得ないようなものなのだ。しかも自分はメートルの定規を使ってると思い込んでいる

 

その状態で闇雲な努力を重ねている、という実態があるのではないだろうか。

 

要するにそれが「認知」の違いだろうと思う。格差というよりは、位相、次元、単位、そうしたものがそもそもズレているのだろう。前述したように、発達障害は認知能力を平均的に持っていない。ズラされているというべきだろう。だから何をしても上手く合致しないのだと思う。他者を見れば自分との異質さに気づくだろう。

 

 僕らは上手く他者の思考をトレースすることが出来ない。一方で健常者は、ある程度、それが可能だろうと思う。同じような認知機能を持ってるからである。

 

その時点で、かなり問題があると思う。他者と分かり会えないのは認知の歪さにより他人の思考を追体験出来ないからであろう。だから空気が読めないし、他人の気持ちも分からないし、他人が現実にどういう気持で向き合っていこうとしているのかもわからないのである。要するに共感が出来ないのである。シンクロする認知機能を持っていないから。

 

それが要するに「仕事」や「本分」に対する認識の低さ、だったり、覚悟の出来なさであったりするのだろうと考えられる。

 

まぁ、一度もう少し発達障害自閉症について考えてみる、学んでみる気はあるので、ここまでは無知な一発達障害者の経験上の考察に過ぎない。

 

まぁ、そういうわけで98%の人間は共感能力を持つが、私は持っていないので、分かってもらえないし、私も分かっていないのである。そして、殆どの人は他者と共感出来るため、2%の私の気持ちをわざわざ分かる必要性も無い。普段、右利きの人が左利きの人を考慮する必要性を感じないようなものである。

 

私がどれだけ他者と共感しようとしたところで、私には追体験出来る回路が無いので、その感情や情動、思考の形を思い描くこと自体が、恐らく不可能であろう。私には一生「普通の人間」を体験することが出来ないのだと思う。

 

 

 

コロナに対して思うこと(素人目線)

注:あくまで知識のない素人の感想です。

 

マスクに意味が無いとか、情報統制のようなこともあったが、個人的にはマスクを付けるべきだろうと思う。

 

マスクに意味が無いのは、電車やバス等、人同士の距離が極めて近い状況だろう。みんながマスクを付けていて2、3m以上離れることが出来、換気していればマスクにはある程度効果が見込めると思う。

 

マスクを付けていない感染者がいる場合には、2,3m離れても空気感染してしまうリスクがあると思う。呼気やツバが飛ぶ距離に居た時、マスクをしていても、それを吸い込んでしまうことがあるのでは?感染者ほどマスクを付けて人の居ない場所で、完治を待つべきだろう。

 

電車やバスなど、人が密集する場所に行かないこと、は絶対だと思う。特にコロナの患者が出た地域では、マスクを付けること+人と距離を置くこと。触れられないが、例えば目にウィルスが付いて移るのかという疑問がある。

 

少し調べてみると、結膜を通して感染する可能性がある、ということであり、メガネや出来ればゴーグルを付けることも推奨されると思う。咳やくしゃみをしている人、マスクを付けてない人に近づかないようにしたほうが良いと思う。勿論マスクを付けているからと行って安易に近づくべきではない。

 

手は適宜洗うべきだし、洗わず飲み食いしたり、眼を擦ったりするのは危険だろう。またコロナの危険性に関しては、年寄は特に注意しなければならない。高齢者の死者が多い。うがいの効果は薄いらしい。

 

2週間で収束するとは思えない。治ってまた感染した人もいると聞くし、肺炎は2週間で治るんだろうか…。まるでねずみ講である。まだ拡大するだろう。死ぬ可能性がある、ということは覚悟するべきだし、感染者は特に高齢者に移してはならない。間接的に誰かを殺す羽目になる。

 

ニュースで報じられたように感染したから誰かに移しに行く、等というのは論外である。そういう悪質な人間がいることは理解するが。そんな人間は人口の1%もいないだろう。寧ろ懸念すべきは仕方ないからという理由で理論武装して感染して仕事を継続してその結果感染を広める人間だろう。マスクをしてるから大丈夫、とか。こちらの方が私としては人口が多いと思う。そういう人が地下鉄だのバスだのに乗ったらどうなるか…。悪意が無ければ許される問題ではない。

 

理論武装してるからたちが悪い。熱が37.5分あれば、まず出かけない方が良い。熱があるのにマスクして出勤する、ってのが論外。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異世界転生ものを考える

異世界転生好きです(´・ω・`)

 

とは言え、本当に面白い作品は十指に数える程しか無いかな、とも思います。案外難しいのが異世界ものですね。

 

個人的にはステータス、レベル、スキルがあるものが好きです。とは言え、そういうものがあると世界観を上手く作る設定を詰めていかないと粗が出てしまいます。個人的には、ステータスに上限を設定するのが良いかな、と思います。村人ならlv30が限界、とか云々。

 

ステータスの良さというのは、忘却しない、という部分かなーと思います。発達障害的な問題なのかどうか分からないのですが、私は日々色々なことを忘れていきます。だから、今はもうあれが出来ないな、とかそういうのがあるわけです。昔は47都道府県を覚えていたけど、今ははっきり思い出せない…とか。まぁ九九なんかは日本人は忘れないみたいなことを聞きますね。要するに個人差はあるけど大抵のことは忘却するという。

 

学生の本分は勉強というけれど、学生を離れると知識はどんどん衰えていくのかな、と思うわけです。オンラインゲームなんかをすると、特定のボスに久々に挑戦すると攻略法を忘れていて、クリア出来なくなってるなー、とかそういうことがままあるわけです。

 

じゃあ、特定の資格を得て職業に就いた人というのは、もう勉強の必要も復習の必要も無いのか、というと私は日々復習したり勉強したりというのを続けていないと、その仕事に適応し続けることが出来ないんじゃないかな、と思います。

 

私には障害があるので、標準的な人の精神的な仕様とかよくわからないのですが、働くということは適応し続けなければならない、ということであり、資格というのは取った後に忘れないで身につけ続けることこそが大変であり、重要であるのじゃないかな、と思います。

 

ステータスやスキル、レベルがある世界では、経験値が失われるということが無いので、何でも身につけたものは身につけたレベルで使えるということがあり、そういうのが浪漫なのかな、と思ったりします。実際は忘れたり衰えたり、ということからは逃げられないのかな、と考えます。

 

じゃあ転生したとして、欲しいスキルは何かなーと考えて見ます。

・頭脳明晰

・完全記憶

・超体力

・超精神力

・超知力

・直感

・冷静沈着

・理性

・知性

・実戦能力

・幸運ex

・ステータス

・鑑定

 

こんな感じかな(´・ω・`)まぁ、最悪、一つに絞ると「幸運max」とかがあると良いんじゃないかな。人生、基本、流されるという。私の場合、人生の漢字は「流」じゃないかと(^_^;)

 

そうするとやっぱりラック(運)かなーと思う。まぁ「自分で切り開いて行けるだけの能力」みたいのも良いと思うけどね。

 

個人的には「一度覚えたら忘れない記憶力」とか「脳内で色々なシミュレーションが出来るだけの精神力・知力・想像力」とか、ま、あとはそういうものを支えるだけの体力(スタミナ)・気力なんかが欲しいなーと思う。あとは好奇心とかね。感動を覚える能力とか、よく聞いた。そういうのが衰えていくことで、人は向上心を失っていくのです…恐らく。

 

結局、人の人生が大変なのってその辺のリソースが少ないところにあるのかなぁとかも思うところ。燃え尽き症候群とかさ。過労死とか。頑張る能力って有限なんだよなーって。そこで限界を感じる。私は。

 

多分、私は人よりそういうものも少ないし。でも、健常者だって、人によるところがあるし、限界はそんなに高く無いと思う。後は理性とかね。冷静沈着とか書いたけど、分別なんかも重要だと思う。

 

私はわたし自身の理性や分別というものが、あまり褒められるレベルではないことを思い知った。人がなぜ道徳の境界を越えて、罪を犯してしまうのか、色々理由はあるかもしれないけど、例えば「ふと気がついたら犯罪を犯していた」みたいな自殺論的なアノミーな理由って結構ある気がしてます。抑止力となる理由をほっぽって、そう出来てしまうからしてしまった、という行為。

 

今フリーだからあの人の首絞められるな、とか思って首絞めちゃう、とか、あるんだろうなぁ…と実感するわけです。普通、犯罪を犯した後のことを考えたり、道徳的な規律意識が働いて、そうするべきではない、と判断するのかもしれない。けど、そういう法や道徳、倫理が頭を巡らずに、行為だけが先行して行われてしまう、ということが有り得るものだ、と私は自身の意識を鑑みると、そう思う。太陽が暑かったから、みたいな小説的な犯罪に至った動機や理由って実際に有り得ることだと私は思うわけで。普通の人は思いもよらないかもしれないんだけど。

 

動機自体がほぼない、というか、そう出来ると思ったから行動に移して実際に出来てしまった、ということがままあるのかもしれない。

 

それは善悪の問答が起きる依然の問題。天使も悪魔も囁く以前に、してしまっている振る舞い。性善説性悪説も関係はない。悪意もない。善意もない。殆ど考えがない。稚拙とか幼稚というレベルですらない。そういう「未満の意識」で行われる犯罪。

 

最近、自分としては、そういう行為が結果として犯罪を招いていることって、世の中で多いんじゃないかな、とちょっと思ったりしている。勿論、普通の人は犯罪なんて起こさないのかもしれないけど。私はちょっと普通ではないし、そういう普通ではない人は犯罪を犯してしまうかもしれない。

 

まぁ、だからその辺を律するだけの理性や精神力が欲しいなーという話なんだけど(´・ω・`)

 

さて、まぁ、ではゲーム的に欲しい能力をあげてみる。…と思ったけど、なんかリアルの問題になってる感があるので、ここで一旦切ります。

 

 

転ドラ予想

神の声=実はいいヤツ説

 

敢えて主人公を誘導し、神である自分を越えさせる。

そして、自分を越えたその魔物に、自分が倒せないラスボスを倒させる。

 

そう考えると神の声は、敢えて自分を倒すように誘導しているように思える。実際、イルシアの仲間を殺していないし、実害を及ぼしてはいない。

 

新年の挨拶と雑感

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

晦日ダウンタウンを見てたのですが、正直、今の時代において、あのレベルの下ネタはやりすぎだろう、というのが感想ですね。また「笑ってはいけない」というタイトルなのに、笑うことにセーブをかけて無いのも、どうかな、という感じです。多少堪えた方が私は良いかなと思いますね。男の全裸というのも止めた方が良いと思いますし、その手の話で笑いを取ろうとすること自体があまり面白く無いです。

 

また、やりすぎて怪我をした方も出て居られましたし、ハーモニカを口に入れるとか、そういうのもやりすぎですね。危ないと思いました。今の時代では厳しいです。

 

地図の方々も何というか、痛々しかったかな。今後、どう売っていくにせよ、私としてはもうちょっと落ち着いた場で活躍されるのを期待します。ブラタモリのナレーションですとか。

 

令和元年は波乱だったな、と個人的には思いますね。災害、事件等。時代の節目ということで、何かしら遣り過ぎてしまう、ということも多かったんじゃないかな。

 

例年よりも、TVの特集が豊富でまた贅沢なものが多かったように思いました。平成も終わり、令和になったという感が強い今年だと思います。令和2年の抱負は「平和で安定した日常生活を送ること」かな。

 

精神的に穏やかに過ごしたい。

 

特別なことのない、安静な日が多く過ごせると良いな、と思います。まぁ、それは私自身に制御出来る抱負かといえば、そうでもないかな。他人任せなところが大分ある気がします。

 

他者が介入してくる場合には、難しくなってくるでしょう。自分自身で調整出来る内容ではないので、お祈りするしかないでしょうね…。

 

存外に、難しい抱負です。結局のところ、自身に不快なことがあまりないように、という感じのことなので。まぁ、他人が介在するとなかなか難しい話なわけなので。

 

あまりストレスになるようなことが無いと良いなぁ…