LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

SNSと誹謗中傷等に関する感想

コロナの影響かSNSがヒートアップする傾向にあるようですね。確かに時間が潰せますが。人を潰しちゃ駄目ですよ。

 

誹謗中傷をする人は、若い傾向がある、という話を聞きました。私が若かりし頃はSNSなんて無かったわけなんですが…。私の経験では、友人に万引を強要されて、断り、やめた方が良いと助言さえしました…。巻き込まれないうちに逃げたので後のことは知らないのですが。

 

大学生になる頃には、過去の「いじめ」や「万引」その他「軽犯罪」等をしてしまったことを悔いてる人が割といました。その頃になると脳が成熟してきますから、少しは賢くなります。若者は過ちを犯しやすいです。思春期なんかもあって「学校普通に楽しかった」と言える人のなんと幸せなことか…と思います。どのくらいの人が学校生活を謳歌してるんでしょう。

 

さて、まぁSNSの誹謗中傷で炎上して云々に対しては、「中傷するのが悪い」「される側も身を守るべき」「される側は何も悪くない」という意見が主に分かれると思います。これはまぁ普通に「いじめられる側が悪い」「いじめる側が悪い」というやつと同じです。単に間に多くの無視する他者がいるだけです。私の読んだ本では学校という場でのいじめは「加害側」「被害側」「知ってて気づかない振りする人たち」という感じでした。

 

SNSでは3番目の人が多いため「無視しといて良いのかよ」と言う人が沢山出てくるというわけでしょう。そういう意味では、学校のいじめよりは陰湿でないのかもしれません(というか3番目の人の中から加害者が出てくるんですね)。まぁ、それも学校と同じではあります。

 

そういう話は昔からずっと繰り返し考えてるんで、結論から言うと「いじめ=犯罪」です…。いじめは犯罪です。ものを盗んだり、誹謗中傷したり、暴力を振るう…これらは犯罪です。学友でも友達でも家族でも赤の他人でも関係無いです。犯罪です。

 

それが公に罰則されない内側で処理されてしまうシステムが罷り通っていること自体、間違っていた(いる)わけです。いじめられたら速攻で警察を呼びましょう。その後もいじめられたら何度も警察を呼びましょう。第三者を介入させることでオープンな事件として扱って貰うわけです。そうすれば、その道のプロみたいな人が誰かしら出てくる可能性が高いですし、上手いことやってくれます。

 

まぁ、その辺が実際のところですね。犯罪に巻き込まれた時、自衛する必要が生じることもあります。これが所謂「中傷された側も身を守るべき」という論です。

 

事案:相手がナイフで刺し殺そうとしてきた

 

という場合、加害者が全面的に悪い。今すぐ刺すのをやめるべきだ。私は何も悪くない。だからここはノーガードでokなはずだ。流石、私、完璧な論理武装だ。

 

これが罷り通るか、という話ですね。結論としては理論武装して無敵の人になっても実際の防御力は少しも上がりません…。

 

事案:相手がナイフで刺そうとしてきた。

 

対応:避けた。逃げた。警察に駆け込んだ。

 

これが正しい対応です(身を守ること)。ナイフで刺すのは間違っている。だから避ける必要など皆無!と言ったところで、刺されれば実害があるわけで。

 

まず避けて、逃げて、証拠持って、警察に行けば良いんです。相手がどれほど間違っていても、実害を避けられ無い状況では、回避すべく行動を起こさないといけません。かなり当然のことです。とは言え、上手く回避出来る保証はありません。可能性にチップ掛けて頑張るしか無いです。

 

最後が「される側は何も悪くない」という論理です。これは間違いです。

 

例えば、些細な悪口を言った。

 

結果:酷く殴られた。

 

という場合、後者は罰せられるでしょう。ここで私は「悪口を言った」側です。「私は罰せられないし何も悪くない」と主張します。正しいでしょうか?正しくないですね。悪口は悪口です。

 

この「些細な悪口」という「きっかけ」があって加害という「結果」が起こった、という因果関係は割とあることが多いです。しかし、例えば「相手がイライラしていた」「そこに私がいた」という因果関係で加害してくる人もいます。マジです。実際、私はそういう目にあったこともあります。勿論、ここには因果関係はありますが私の責任は限りなく少ないでしょう。

 

まぁ、分かりやすい例を挙げると、

 

裸で風呂に入っていた。そこに裸の少女が入ってきた。少女に殴られた。

 

みたいな感じです。存在するだけで加害される例です。けど、これは随分、分かりやすい話です。

 

実際は、相手がイライラしていた。私が位置的に目障りだった。殴られた。

 

みたいな話です。したがって、殆ど相手の問題で自分に責任が無い場合もあります。ただ、ここでは「火種(きっかけ)」を抱えている人に関する話です。根本的に、小さな火種でも普通に炎上します。結局はその配分で悪いとか悪くないとか揉めるわけですね。

 

ある人がコロナで「性差別的な発言をしたから」、「炎上するのは当然」という感じです。ただそこには差別的な発言という「火種」があって、SNSでは燃える材料が沢山あった、みたいな話です。要するに、

 

可燃物がある場所に火種を投下すると炎上する、という話です。

 

当たり前の科学現象なのですが、なろう主人公が転生先で原始的な手段で火とか起こして俺すげー、ってなるやつですね。まぁ、そこまで発展してない異世界ものも少ないですが。

 

可燃物+酸素+火=あとは分かるな!?ちらっ(わかんなーい

 

この場合、本来第三者である人が加害側に回るわけですね。まぁ、そうなるともうその人はイジメに加わってるわけですが。つまり加害者になってるわけです。学校における第三者も似たケースは多いです。空気的に断れずにイジメに加わる…と。

 

きっと「万引」だって同じようなものでしょう。

 

問題は「火種」だというわけですね。けどそんなものは多かれ少なかれみんな持ってるので。「いじめられる側が悪い」というのは、そんな火種持ってるのが悪い!という話です。

 

「いじめる側が完全に悪い」というのは、仮に相手の火種が100(最大)だとしても悪いというわけです。何かこう諸悪の根源みたいなやつでも…。最早、入る前から燃えてるのに…。けど、燃えてるところに更に可燃物を投下するのは駄目ですね。それは追い打ちです。死体蹴りとも言います。火に油を注いでるだけです。

 

火に油注いだらどうなるかわかりますね?(と例えれば明らかに分かることでも、例えられる前にはどうなるか分からない人がいるんです)

 

 

加害者側は完全にアウトですね。ただボヤで済むか山火事になるかは周りの人の責任だと思います。第三者ですね。油を放り込むか、火を消そうとするか、傍観するか…という人たちです。

 

私は障害があるので、いく種類もの「火種」を持ってます。だから燃え移る可能性も高いです。「いじめられる側は何も悪くない」というのは、どれだけ火種を持っていても何も問題がない。因果関係もない、ということです。

 

けど論理的にはどんな場合にも因果関係があります。その「きっかけ」がどのようなもので、そしてどのくらいのものか、という話になります。この時点で、0か1か、という話では無くなります。

 

所謂「情状酌量の余地があるか」みたいな感じで、点数を付けます。どのくらい悪かったか、それとも悪くなかったか、みたいなことを因果関係を認めつつ、秤にかけてくわけです。

 

まぁ因果関係があろうと自責が0の人もいます。私みたいに自閉症(フラグ)抱えてる人とか、その他の弱者とかですね。知的障害があったり認知症の老人や、介護が必要な人であったりとか。

 

性格に難を抱えてる人もいますし。ここに人種やジェンダーとか、見た目や性別、まぁ宗教とか信仰とか、全部を挙げれないですが、ギスギスする何かを何かしらの事情で抱え続けていたり、そうせざるを得ない人もいるわけです。

 

「原因自体はその人のせいでなくてもいじめられる原因を所持している事実」は変えられません。「いじめられる側に(も)要因がある」こと自体は当たり前のことです。しかし、そこに責任があるとは言い切れませんし、責任があっても無自覚である場合等もあります。

 

仮に原因を所持しているという責任があるからと言って、いじめて良いということにはならない、ということです。

 

私は落ち度の塊みたいなもんです。それは否定出来るものじゃない。そういうものが自身にあって「そこに居ただけで殴られる」なんてことは恐らくしょっちゅうおこっています。

 

ただ、そのような理由で人権を侵害されることは許されません。というか、自衛のため、とかでなければ、どのような理由でも侵害してはいけないのですが…。

 

まぁ、それが私の結論です。

 

ちょっと文章がよくないですね…。もやもやしてる気がします。こういう話はもっとシンプルに書くべきでした…。

 

例えば、キリストが石を投げてる人に言うわけです。

 

「犯罪をおかしてないものだけが石をなげよ」と…

 

そうすると全員投げるのをやめるわけですね。多かれ少なかれ、みんな燃える時には燃えるんで。

 

まぁ、実のところ「犯罪」を「刑事上の」と考えてしまう人間は石を投げるでしょうが…。「ボクは逮捕されたことない!」とか言って投げるでしょう、きっと。

 

まぁ、だから人には教育が必要なんですが。

 

引用先では「人を裁く権利や資格を持つものはいない」と何か格好良さげなことが書かれていました。

 

まぁ、これなら人なら誰であっても資格ないんで石投げないでください。

 

これもまぁ裁判員裁判みたいなことがあるので引っかかるんですが。

 

とは言え、法が人を裁くのであって、人がその独断で人を裁いてはならないとは言えるはずです。

 

その辺までは論理で言える話だと思うので、いじめ論みたいのは結果出てる人も多いと思うんですが、炎上する度に単にまたその話蒸し返すのかよ…って感じです。

 

最近ことわざ辞典を読んでるのですが、例えが時代外れで面白く無いんですけど、この二つは大切だな、と思ったのを書きます。

 

・喉元過ぎれば熱さ忘れる

・後悔先に立たず

 

ですね。最近思うのは、喉元過ぎれば熱さ忘れる、ために人は同じ過ちを繰り返すのだ、ということです。警察の世話になっても同じことするくらい、すっぱり忘れちゃうんですね。人間って。

 

自閉症だから忘れるんだろうか…。いや、世話になったのは私じゃないですけどね。

 

後悔先に立たず、というのは所謂、喉元過ぎれば熱さ忘れる、とコンボになってるんですね(笑)その辺を説明します。

 

1.後悔先に立たず、のためにやる前にはやった後のことなんて考えもしてみない。

2.痛い目に合う

3.喉元過ぎれば熱さ忘れる、のために痛い目にあった記憶を忘れる。

4.1に戻る。後悔が喉元を過ぎて忘れ去られてるので、同じ過ちを繰り返す。以下、ループ

 

というわけです。

 

やる→痛い→忘れる→やる→痛い→忘れる→やる

 

この負の連鎖が続いてくわけです。スパイラルで落ちてくんじゃなくて、ループですね。この場合。ただ現実には罪を犯すほど重くなっていくのでスパイラルしていくと考えられます。なので実際は負のスパイラルになるかもしれません。

 

強力なことわざコンボでしたね…。

 

・人は痛みをいつか忘れるけど痛い目にあった記憶を教訓にして忘れないようにし、同じ過ちを繰り返してはならない

 

教訓です。

 

 

愛とは何か

まぁ、対人経験値があまりない私の話です。ここで言う愛とは、相思相愛、相互理解、パートナーになる…みたいな時に必要な愛について述べます。

 

前の記事で書いたことが下敷きになっています。相手を理解し尊重し譲歩する。相手に理解され、尊重され、譲歩される。これが愛で、互いにそうすることが出来た時に愛は相互に了解される。すなわち相思相愛と考えます。

 

具体的には後輩が言っていた恋人の定義と、家ついてって…という番組のあるカップルの発言を参考にしています。共通するそれは「尊敬出来る」という言葉です。相手の人間性を評価して「尊敬できる」から愛して最終的に結婚に至る。自分はそう思います。

 

現実には、そこまで相手を理解しないまま、流されるままに、結婚に至ることが多いのでしょう。お見合いや許嫁のように、相手を評価する時間を十分に貰えない場合もあるでしょう。結婚したら豹変したとか、何とか。あとはまぁ腐れ縁みたいな感じで、長く暮らす内に仕方ないみたいな心境に至る等。

 

例え定型であっても、論理的な理由で付き合って、結婚する人は少ないかもしれません。多いと思うのは、昔の夫婦みたいに夫に従順な妻とか、あるいは逆だとか、その場合、片方が片方を支配しているみたいになるのだと思います。

 

要するに、そういう結婚をした人はDV等に会いやすいということでもあり、自分に暴力や暴言を言うような人物と結婚すること自体、私には意味がわかりません。脆弱な人間が強い人間に縋るように結合しているのかもしれないし、強い人間は一方的な奉仕を要求するのかもしれません。要するに二人共ろくでもない。

 

思うにそうなってしまう事情は、時間が無い、等の理由から相手を完全に理解しきれていなかったとか、相手にフィルターを掛けて見ていた、とか、自尊心が高くないから、相手への要求のレベルをかなり下げてしまった…とかが考えられます。

 

「私なんかで良いんですか」等とよく聞く了承の言葉ですが、それは相手に関して問うべきものです。「こんな相手で良いのでしょうか」と自分に問うべきです。相手の情報を集め評価して自分が相手を尊敬できるか否か、こそ問うべきで、

 

「こんな私なんかで…」というくらいなら、そもそも結婚するべきじゃないです。自己評価ははっきりさせるべきでしょう。「自分が相手と釣り合うのか」という点も考慮すべき点です。自分がマウント取られるだけ、という未来が見えていて結婚するとしたら、その人は特殊性癖があるかただ愚かなのだと思います。

 

相手を理解出来るか、相手が自分を理解してくれるか、そして相手を尊敬出来、尊重出来るか…その程度は分かって無ければ、そもそも友人としてさえどうかと思います。

 

現実的には自分の近くにいる人の中から候補者が出てくるものでしょうが、だからといって、ハードルを下げるべきじゃないです。少なくとも「基本的に他者を尊敬したり尊重していける人間」くらいの条件は付けるべきです。最低限、最低限の人間性(まともな人)を持ってる人から選ぶべきです。

 

でなければ関わらない方が良いです。世の中を見ていると、ろくでもない人間がろくでもない人間と引っ付く場合がよくあるんだなぁと思います。どちらかがろくでもないという状態もよくありません。寄生されるので。結局の所、結婚出来るだけの人間性を持ってない人間が結婚しようとする…から酷い家庭が生み出されることになるのでしょう。

 

人のレベルがピンキリであるため、それは仕方ないことかもしれません。ただ私はここで愛に必要な条件を自分なりに語ってるだけなので。愛が必要ないなら破滅的な結婚をしてくれても正直どうでも良いのですが、出来るなら子供とかを巻き込まないで欲しいですね。

 

人並みの幸せが欲しいという人は何時でも見かけますが、私なんかは人並みでないことがよく分かってるため「人並みの幸せが欲しい」とは思いません。自分が人並みであって、初めて、人並みが要求出来るのです。まず自分が「人並み」であるのか、そこから内省してみなければなりません。

 

結果として「人並み」でないのなら、あなたに人並みの幸せを得られる道理はありません。能力が無いものが専門職に就けないのと同じ理屈です。

 

誰もが愛を享受出来るというのは嘘です。基本的には人を愛せない人間はまず相思相愛になれないのだから「相手が自分を一方的に愛する」という条件が発生するでしょう。それは単純に不公平です。私とあなた、二人の了解があって初めてそこに愛が繋がります。私はあなたを尊敬し、相手も私を尊敬出来る。そんな関係が理想です。経済的に言えばwinwinで無ければなりません。

 

しかし、現実は「シャア・アズナブル」みたいな心を患ってる人間が多く、父や母を求めてる身勝手な人間がゴロゴロしている、と自分は思います。その結果が相手への寄生でしょう。

 

結果として相手にモラハラパワハラをして自分に従わせようとする…みたいな愚かな関係が発生すると思います。

 

発達障害者もまた相手に粘着してしまう…傾向があると思います。少なくとも私は他者を愛することは出来ない。とすれば論理的に相思相愛は無理だと考えるので、他者の愛を求めることもしません。家族の愛が受けられるかもしれませんが、家族自身が発達障害等の傾向がある場合には、愛は受けられないでしょう。

 

友人さえ作れないのに、恋人を作るのも無理でしょう。ただ、私は愛が無くても生きていけると思います。誰かに愛される必要も誰かを愛する必要もありません。

 

じゃあなぜ人間は愛を求めるのでしょう。よく考えれば、十分な理由は無い、と考えます。孤独だとか寂しいだとか、それくらいでは無いでしょうか。それらは別に解消されなくてもどうということはありません。

 

 

 

 

無理解の言い訳と自閉症者の天敵

まぁ、なんというか。「お前が障害者でも私は何も変わらない」みたいなことを言われたことがあるんですが。それって「私を偏見で見ない」みたいにも聞こえるけど言ってることとしては、

 

「障害が無いものとして扱う」

 

ってことですよね。それは私のハンディキャップについて理解する気が微塵も無いし、気遣う気もない、ってことなんですよね。そういう家族が居たとして、表面上は綺麗に聞こえるこの言葉を解析したら、要するに「どうでもいい」ってことなんですよね。その人は耳障りの良い言葉で状況を無理矢理、正当化してスルーしてるだけです。

 

「ありのままのあなたを私は受け入れます」

 

ま、そういうこと言うやつは信用しない方が良いですね。自分に都合の良いことしかしないし、やらないから。

 

私が求めるのはハンディキャップに対する理解やフォローであって「家族として対等だ」という言葉の裏にある無理解・無関心・モラハラ・謎の理由なき無礼講、等ではないわけです。要するに自閉症に関する本を最低20冊読んで出直せよ、って話である。

 

これって多分、障害者じゃ無くても他者との関係において重要な点なんですよね。「相手を理解してフォローする」「相手を理解して対応を考える」「相手を理解して関係性を調整していく」これらは普通、人付き合いに関しての重要点なわけです。でも私達の障害は主にここが駄目なので。

 

まぁそういうわけで相手を理解しようと務める態度あるいは良く書籍に出てくる言い方として「相手との距離感を測る」というのは、障害が無くても自身の家族との関係の中でも重要な心得なわけです。というか全ての普通の社会生活で必要なやつです。コミュニケーションの肝です。

 

家族だから恋人だから「全部受け入れてくれるはず」だから「私はあなたのこと気にしないんで」というのは「ああ、私に興味も無いし助けてもくれないってわけね」と変換して間違い無いです。

 

TVとか見てると一目惚れで結婚した、とりあえず何か結婚した、みたいのよくあるけど、そういうのって結局「理解してくれなかったから別れた」みたいになると思います。お互い相手を理解する気のない人間は何れは相互不和となり分かれるのが論理的帰結です。まぁ、宿命ですね。

 

要するに「家族だから」というのは免罪符なわけですね。そして恐らく、言ってる人はその点に気づいておらず、自分の言葉に騙されてるというか理解してない綺麗事をならべて満足してるだけの人です。

 

コロナ・ショック中に家族仲が悪くなるのは、そのロジックを使ってしまっているからじゃないですかね。「家族と過ごす時にはリラックスできていないと家族ではないから無理矢理にでもリラックスして過ごそうとする」みたいな謎ルールがありますよね。そんなの嘘っぱちだから上手く行かないんですよ。

 

そもそも夫婦というのは他人です。家族自体が他人の群れでしかないです。つまり阿吽の呼吸なんてものは生まれながらに備わっているわけもない、ということです。

 

単に統計的に見て、家族との仲が良くなりやすいとしたら、それは一緒にいる時間が長く、その分相手を理解している率が高い程度の理由でしょう。双子の場合、お互いの思考をある程度トレース出来るため相互理解しやすい、ということが多いのでしょう。

 

そして、そのことさえ考えもしないくらい自身の言動を自分で把握出来てないんだと思う。ま、自分の中に道徳や倫理が論理的にインストールされてないんですよ。内省しない人ってのがきっと存在するんでしょうね。「相手や自分を客観的に理解するための論理思考能力」ではなく「声に出すと美しい日本語」的なものが変わりにインストールされてるんでしょう。DQNは。

 

『ナルト』でチョウジ君が言ってますが、大人になったら大人になるんじゃなくて、大人になろうと意識し努力して初めて大人になれるのだ。要するにその過程で、

 

家族とは何か・母親とは何か・父親とは何か・自分とは何か・兄弟姉妹とは何か・友達とは何か・他人とは何か・人間とは何か・愛とは何か…etc…云々という問い掛けを自分にしない人間は「勝手にそういうものになれる」んだと信じてるんじゃなかろうか。

 

例えるならそれは、赤ん坊はコウノトリが運んでくる、理論である。つまり、0点だ。その理論で人の親になろうという人間はまるで「車の免許も持ってないのに自動車に乗る」人間である。ルールを把握してなかったり、ボケてたりすると当然事故るわけだ。

 

「親しき仲にも礼儀あり」ということが分かってる人なら、そう家族仲も悪くならないはずです。理想的なのは私もあなたもそれを了解している、ということです。片方の理解だけでは一方通行ですからね。妻は夫の一歩後ろ歩け、ということです。しかし、時代は変わりました。夫も妻の後ろを歩かねばなりません。どうぞどうぞと言って互いに相手に譲歩しつつ結局一緒に歩けば良いんです。

 

歴史を考えると戦後という時代はそうしたものが整理され道徳や倫理、権利等の考えが、そうした道徳的なインフラもありませんでした。「衣食足りて礼節を知る」という風に、それが足りてきたのは2000年以降と考えても良いと思います。それまでの道徳は権威的であり壊れていました。つまり、何か訳なく威張り散らす人がいた感じでしょう。TV画面越しに殴ったり蹴ったり脱がせたり、ピー音でモザイクなことが何度も試みなれていた時代です。

 

そこに郷愁を感じる人がいたとしても、そこには経済的成長や技術革新とかの右肩上がりの時代だった、要するに復興期で高度経済成長とか呼ばれた時代のため、羽振りがよかったのでしょう。当然、そこに過去補正という郷愁が加わると「昔は良かった」ということを口に出す大人がいるわけです。大人は好き放題やれたのかもしれませんが、子供は教師から、先輩からの体罰モラハラは当たり前だったと思います。勿論、親からもそうだったでしょう。子供は環境によっては全く守られなかったわけです。

 

経済は下降し少子高齢化、非正規雇用の増加、地球温暖化年功序列の撤廃…まぁ色々ネガティブなことが棚積みにしてあるにしても、今の方が余程、様々なことが健全な方向へ進もうとしています。自殺率の遷移にその辺りは明確に表れている思います。

 

まぁ、だから「家族だからありのままの私で居られる」だとか「家族だから何でも受け入れてくれる」と思いたいんでしょう。妄想ですね。気心が知れる、というのは「その人を理解しており上手く立ち回れる状態」だと思います。人により対応を変えるのは、人に対する距離感が分からない、と言われる発達障害者には難しい行動ですが、人付き合いの要点だと言われてます。

 

つまり人により対応を変えるのが自然な人間的な対応である、という話ですね。まぁ、多くの家族が相手を理解する努力を互いにしたくないがために仲良くなれないわけです。で最終的に無関心になる、みたいな。まぁそれを家族に望んでるんだから仕方ない。

 

「何でも受け入れる」というのは「何でもスルーする」ということであり「理解はしないんで勝手にしてください。私も勝手にするんで」ということの表明だと私は思う。

 

尚、1人が譲歩する人でもそれは普通にその人に全部背負わせることになるので、やるなら、その点を理解してやってほしい。撃たれる覚悟のあるやつだけが戦場に立て、という感じです。親になるということはそういう覚悟(自分は顧みられないかも)をすることです。

 

まぁ、子供は何もしなくても親が面倒見る必要があるわけですが、成長の過程で、仮にそれを気遣われて育ったと言うなら同じように相手を気遣うということを学習するんじゃないかなー、と思います。まぁ、だから孝行したいとも思うようになるんじゃないですかね。定型なら。

 

で、まぁ「家族だから」が如何に呪われたワードかを語り終えたというていで、話を変えます。

 

閑話休題

 

自閉症者の天敵は無理解な定型と自閉症の人です。バッサリ言えば殆どの人間は天敵です。私もあなたも人間にどう接すれば良いのか分からない。磁石のS極とS極をくっつけようとするように反発するでしょう。前にシェアホームなんかの話を聞いたんですが、結論としては問題のある人と一緒に住んだら普通に炎上するよね…というものでした。火のないところに煙は立ちません。私は火種を持ってるので、行く先に煙が立ち込めます。

 

自閉症とはある種の火種であるため、火種が沢山あればそれだけ燃えるでしょう。自閉症者の味方は障害の知識があり理解のある定型です。仮に私が理解のある自閉症だ、としましょう。

 

でも私はストレス耐性とか無いしコミュ障なので、自閉症者に大人の対応をとることが出来ません。まぁ、それは誰に対しても上手く付き合えないのが、自閉症ではそのレベルが上がるだけです。

 

結局の所、理解ある定型というのが福祉関連の人とか精神科の先生とかしかいない、と考えて良いと思います。それ以外の人は自分を理解してくれようとはしないでしょう。「ありのままの」理論の人が多いでしょう。「ありのままの」理論の人は天敵です。分かり会えない宿命です。宿命と書いてさだめと読みます。そもそも、その人自身コミュ障かもしれません。「ありのままの」理論で武装してる人は対人のたの字も知らない素人です。

 

ちなみに相手と上手くやる方法というのは、相手を理解し更に尊重することです。その中で必要なら自分は何らかの譲歩をするわけです。

 

理解・尊重・譲歩…およそこの3つが他人と上手くやるコツでしょう。で自閉症者がどうかというと、これらを相手に求めながら「自分はそういうこと出来ないんで」と何か要求ばかりしている、感じですね。勿論、これは他人と上手くやれないその他の定型・非定型全ての人間について言えることです。

 

自閉症者同士が集まるとどうなるかと言えば、互いに理解も尊重も譲歩もしない。理解しても尊重も譲歩も出来ない、と言うでしょう。言わば、私達に関わるということは、私達を理解し尊重し譲歩しなければならない、それもほぼ一方的に…という話です。

 

要はその場に、難しい気質の我儘な子供が1人増える感じ、ですかね。その子の面倒を見ろ、と言われる感じで。まぁ、無理ですよね。

 

で私達の家族がどうかというと私の場合「あれをするな」「これをするな」「何度言えば分かるのか」「尊重しろ」「譲歩しろ」と命令してきます。まぁほぼ恐喝です。

 

本来、尊重されるべき障害者側が尊重しろと言われるわけですね。要するに「介護が必要な人に自分でやれ」とか「私に迷惑かけるな」と言ってくる感じです。私は言語能力高くないので、自分で反論することも難しいし、表現することも難しいですよね。反論しても相手は聞く耳を持ちません。私の能力では相手に抗することが出来ないわけですね。

 

にもかかわらず相手側から言えば「私を受け入れている」というわけです。「嫌なら出ていけ」というわけ感じですね。まぁ大分マイルドな表現にしてます。ダブルバインドとか適当な語句を出さずとも、全く障害を理解する気も受け入れる気も尊重する気も配慮も何も無いわけです。

 

私はひたすら引きこもってるだけでもバッシングを受けるわけですね。部屋の外にいるだけでも暴言をはかれると…。まぁ、要するに「ここにいるべきじゃないなぁ」と言うのが結論です。それでも動けない人は多いでしょう。

 

よくラノベでは劣等者同士が集まって傷を舐め合うものですが、自閉症の場合、そこには細菌が繁殖して病気になります(´・ω・`)私は98%くらいの他人は私を理解しないだろう、と諦めてます。

 

まぁ、そんな訳で自閉症の味方と言える可能性があるのは、お医者さんやその関係者くらいでしょう。専門知識を持ってるわけなので。その中で見極めてくしかないのかな、と。まぁ医者も人なので色々いるでしょう。なんか悟ってる感じの人もいるでしょう。そのくらいハードな仕事だと思います。割り切らないとやってられない感がある先生も多いのではないでしょうか。

 

昔、クリニックを探した時に、結構やばそうだなぁ、ってとこも割と見かけたし、実際、行ってみて駄目っぽかったとこもありました…。当時とは状況が違うとは言え、その病院の医者が信頼して良いかどうかというのは断言出来ないです。

 

ちょっと話を戻しますが、昔、作業所を探した時には、同じ問題抱えた人…とか無理だな…と思いました。同じ障害と言っても十人十色ですからね。まだ定型の人といたほうがマシでしょう…。互いに相手に興味を持たないで済むのがベストです。

 

まぁ、私としては最早「誰とも一緒に居ない方が良い」んですが。他の障害者とか理解の無い定型とか「ありのままの」理論を使う定型とか、それらは目に見える地雷なんですが、私達は自身も地雷元だということも思い出さなくてはいけない、と私は書いてて思いました。

 

自分は火種になる、という理解が必要です。どうも書物などを見ていると、自覚のない火種がうろちょろしているようですが…。一体、どんな破綻した論理武装で自己弁護してるんだろうか…。

 

普通の人は地雷を踏むと爆発するが、踏まなければok

 

私は地雷を踏むと爆発するし、そうでなくても地雷処理能力が無い人に接触すれば爆発するし、自分自身も地雷処理能力が高いわけでもない。

 

そういうわけで愛とか恋とか友情みたいな何かを期待しない方が良いでしょう。コミュ的な問題に対しては人並みの何かなんて私達には手に入りません。

 

家族に対してもそうです。「ありのままの」理論の人は信用せず距離を置くべきでしょう。実害が表面化しているのなら逃げた方が良いです。

 

自分は非常に珍しい奇病に掛かっている…という認識が必要かもしれません。事実、その通りです。否…と思った人は考え直したほうが良いでしょう。勿論、周りが悪い場合があることも事実です。相手の火種が勝手に爆発してることも多いです。私は比較的人畜無害な方ですからね。別に私だけが火種やら地雷やらを持ってるわけでもないです。

 

家族も含め他人に自閉症関連の図書を数十冊読ませるのは困難ですが、自分で読む分には制約はありません。まずは自身が自分の障害の理解者になろうと務めるべきです。この障害は十人十色です。パターンがあり自分はどの辺にいるのか、みたいなことを考えることも必要です。

 

己だけが自分を理解しようと自己を顧みず努力することが出来る、最も身近な他人である

 

と名言っぽく言っておきます。自閉症者自身が「ありのままの自分を」理解していると思っていませんか?前述したように、人は自分のこと自体自ずから理解しているわけではなく、思惟によって、経験によって内省することで自分の人間性を掴んでいくもの、と思います。

 

「ありのままの」理論はナンセンスです。何も語っていないのと同じだと言うことです。自分には障害なんて無い、と思っている自閉症者は多いという話を聞きます。灯台下暗し…と言っておきましょう。

 

 

 

テンプレとは学習されることである

なろうテンプレがどういうものか、ということを書いているなろう著者がいたりするが、私も一般的な「なろう感」というものを持っているため、同意出来ることも多い。

 

なろうを漁る日々で得られたものを考えると「なろうとは何か」という命題の答えが自分の中で形作られて行くことを感じる。

 

あるテーマについて自身の感想を抱きたいなら、そのテーマに関しての一定の理解が必要になる。それが無ければ、テーマに対して論説することは難しい。

 

例えば「ガンダム」について語りたい、なら少なくとも「ガンダム」がどのようなコンテンツなのか、実際に見る必要がある。私は「ガンダムウォー」というカードゲームで主に知った口である。それ以前ではプラモデルとかファミコンゲーム、プレイステーションのゲームなんかで「ガンダム」を知る機会があった。

 

そうした様々な媒体を通して得られた知識に基づき私は「ガンダム」というテーマに対して一定の論説する知識を有するに至ったわけである。

 

要するに何が言いたいかと言えば「なろう作品漁り」は「なろう理解」のスキルを伸ばす。別のジャンルにも「○○作品漁り」は「○○理解」のスキルを伸ばすだろう、ということである。

 

無理矢理な話だが、昨今、コロナにより教育が停滞しており、学力維持なり学力を高めたりだの、ということが障害されている世の中で、「自分の力で主体的に学ぶ」必要性が出てきた。けれど、基本的に日本の教育は受動的である、と言われる。

 

主体性とは何か、どうすれば主体的に学び得るのか…と考えた時、自分の持ち札の中から言えば「本を読む」ということが知識に結びつくと思う。「Dr.stone」を読めば理科系科目に対する興味が湧くかも知れない。

 

その中で、自分の中で語り得るだけの知識を得る方法が要するに「なろう漁り」みたいなことをすれば良い、という話だと私は思う。とにかく多くそのテーマの関連知識を蓄える。暇ならもうそれをやる、みたいに暇つぶしにでもやり続ける。そうするとある段階から、そのテーマに関するお約束やテンプレが見出だせるようになるかもしれない。

 

最終的にはそのテーマに対して自分なりの感想を言える、くらいの理解が得られるやもしれない。と、自分は思った、という話である。

 

 

 

 

Dr.stoneはなろう系としては及第点である。ただ最近、あまり良いなろう系が無い。

「なろう」の問題は書く敷居は低いが、ちゃんと書ける敷居が高いことにあると思います。「なろう」を読むRPGと称した批評を読んだんですが、たしかになー、と思いました。

 

書こうと思えば「森でゴブリンを倒した。終わり」で良いんですよ。

「森でゴブリンを倒した。くっ殺女騎士を仲間にした。エロい。犬がもふもふして可愛い。異世界飯上手い。終わり」で良いんですよ。

 

寧ろ、もう完成してますよね。正直上の2行で大抵の無駄に引き伸ばしてる「なろう」作品よりは面白いですよ。分かりやすいし。あとはゴブリンをオークにしたり、くっころ騎士をツンデレエルフとかに替えて、犬を猫とかにしてもふもふしてれば良いんですよ。

 

ただ個性を出すとすると、まず「知識チート」か「能力チート」か分かれると。前者が『Dr.stone』後者が『文字使い』異論は認める。尚、これらの作品はまぁまぁ面白い。あとは「知識+能力チート」というものがある『転スラ』かな。

 

この辺は成功した作品だけど、失敗作に関して思うのは、作者の想像力じゃ書けなかった…というのが大体大凡全部…だと思うんですよね。私も時間潰しに「なろう漁り」にせいを出したものですが、最近は「なろうを読む」=「時間の無為な過ごし方」と認識しつつあります。

 

勿論、商業化するものはあります。でも商業化した多くの作品も他のプロ作品と比べて、すぐに埋もれていく感が半端ないと思ってます。図書館の隅にある児童文庫…という例えがしっくりきます。まさに「なろう」ってそういう存在…というか。こう…病院の待合室においてある絵本…くらいの存在感かな…と自分は思います。

 

暇だから読むか…くらいのものであり、病院においてある昔のナンバーの少年ジャンプくらいの存在価値です。勿論、ピンきりですし、玉石混交と言い換えることも出来ますが、玉は2%くらいだと思う。

 

物語にケチを付けたい読者はそれでいいと思うんですが、私は私の中で大体分かってきたなぁ、と思ってきています。嫌いな作品は、

 

1主人公が常識人と思い込んだサイコさんである。

2ヒロインが特殊な生まれで美少女であり、増える。

3主人公が貴族になったらハーレムokとかいう。

4犬がもふもふして癒やされるとかいう。

5無駄に食レポする。

6主人公無双なのは良いが他キャラ視線でageしてるとウザい。

7同じ過ちを重ねる(例:「その時俺は油断していたんだ」x100話分

古武術を習っていたと言っておけば無双して良い

9なぜため語

10勘違い系主人公

…etc

 

軽く見ていくが、1はもう食育とかいる?ってくらい殺生に抵抗が無い。しかも殺してその場で普通に食う。どんな暮らししてきたの?

 

2は、まぁ何か虐げられてるけど絶世の美少女…着飾らせて売られるわ!寧ろいい暮らしできそう(´・ω・`)

 

3は、まぁ何かハーレムじゃなくても男性:女性の比率が偏りすぎてくるともうなんか気持ち悪い。しかも全員絶対備考に(:美人)って書いてある。性格難というのはあっても見た目がゴリラみたいのは少ない。もう逆にみんな男で良いよってレベル。尚、ホモではないし、私はレズも受け付けない。要するに「けいおん!」みたいなノリで良いと思うんだ。恋無し、友情あり、青春あり、チームで乗り越えてく。的な。

 

私を養ってきた文芸を思い返しても、彼女とイチャラブします、みたいのは結局、残ってこなかったんですよね。要するに「恋」をテーマにしてる感じの作品は自分の中では無いな、っていう。私、普通じゃないんで、まぁ、普通じゃない人の心の問題なんですが。

 

4と5はねTVでも同じこと繰り返してるよねって思う。4と5を考えるとラノベ読まないけどTVは見るよ、って人は「なろう民」と民度は同じだと思う。同じものを違う角度から見続けているだけで、そろそろ胸焼けしてきてる…。

 

ただ小説の中で動物を愛でてるのを遠巻きに見ているのと、映像で観るのどちらが良いかっていうと映像だろうな…って思う。つまりどちらも映像の方がましだと思う…テーマ統一してるしね。「なろう」だと「贅沢全部盛り」みたいになってる作品があるけど、単体見た方が良いと思う…。そして動物番組や飯テロ番組は飽きにくいと思う。逆は飽きるが…またそれか、と。TVなら何度でも餃子食べてくれ…とか思う。ただ、大食いとかはもういいやってなる。

 

こう永谷園のcmとか、ビール飲んで「くーっ」みたいな使い古されたリアクションね…なんかもういいや、って思う。絶対、昭和からやってるだろ…もう元号2回代わったのにまだやってるよ…ってなる。

 

「家ついてって…略」という番組なんかも、何か禄でも無い人を見て、あぁ自分ってそれ以下では無いなぁみたいな番組もあるよね。あの辺も「なろう」感があると思う。引きこもりやおっさん、普通の高校生、孤児…大体微妙な生まれ、微妙な精神能力っていう。

 

最近、おっさん多いけどさ、ああいう番組でも「おっさん率」高いよね。みんなおっさん好きなんだと思うよ。「なろう」だからだけじゃなく…。

 

6はね…基本的に「あいつすげーな」とか言ってるだけだから。主人公視点で「俺つえー」って言ってんだからもういいよ、ってなる。そして、あと主人公以外との対人関係が設定されてない節がある…。私は太古からぼっちやってて熟練度的にはぼっちマスターと言っても過言では無いレベルだと思うから、ぼっちに関して一家言くらいはあるわけよ。

 

私から見たら、私以外の人間が裏でSNSで全員繋がってる、ってのはあると思う…。昔は、いじめられっ子がネット上で吊るし上げられてたりとか…あったと思うけど。今は、クラス中がSNSで繋がるか、インスタしてるか、ラインしてるみたいなとこあると思うんだよね…。

 

そういうポジションに私は絶対行かないんで、私視点から見た他人は複数の他人と関係築いているわけで、そうすると「あいつがすげー」じゃなくて「あいつすごくない?」と別のキャラにふるんじゃないかと思う。そして、こう自分の知らない内に何かが進行して、終わってるんじゃないだろうか。

 

8番目はとりあえず古武術習ってたことにすればチート、というやつ…。第一に古武術は対人が前提で、対人に特化した武術だということ。当然モンスターとの戦闘には対応してない。せいぜい反射神経や受け身が役立つ程度だが、ビルから落ちても受け身とったから無傷、みたいなのは無いと思う。受け身って衝撃を受け流すわけだから。オーバーキルされれば普通に死ぬ。

 

合気道無双というのもあるけど、大抵はファンタジー合気道なので…。合気道的な合理的な操体術ってのは色々なとこで似たようなのがあるけど、体幹や身体を合理的に使って膂力を増して仕掛けても基本的に膂力が違い過ぎる相手には通じないと思う。例えば梃子の要領を使っているとして、梃子で覆る程度の力までしか抗し得ない、というのは道理。

 

ファンタジーな出し物を出すならアイアンゴーレムに関節破壊を武術の要領(素手)で仕掛けても破壊できない。だから、結局、奥義(最後)は逃げるか急所を狙うわけで。「卑怯とは言うまいな…」というのが。

 

9はホント多い。そして意味が分からない。対等=ため口という謎ルール。私は基本的に他人には「ですます調」。対等でも「だよね。だね」みたいな感じで「だろ?だな」みたいな口調にはならない。断定口調というべきか横柄な感じというべきか…。オレ~だぜ!みたいのもよくみる。前世35歳だったよね君…あっニートだったんだもんね…察しってなるわ。

 

無礼講…っていうのは上辺だけってのが普通らしい。要するに、とりあえずそういうことで…という建前であって、本当にルール無用にはならないんだそうだ…。実際、無礼講だろうがなんだろうが偉い人は上座に座り接待を受けるわけで。

 

要するになろう主人公は空気読めてないし常識も無いんだね…。それを正さない→受け解ける、周りもどうかと思うが…。「リリカルなのは」のフェイトとシグナムの関係を見ていれば分かる問題だ…。フェイトからはずっとシグナムさんであり、シグナムからは「お前」「フェイト」なのだ…。

 

「なろう」産だが小説の体を為してる作品としては『本好きの下剋上』があると思うが、本作は下町の人間、商人、貴族、王族といった身分制度とその関係、言葉や身のこなし方に関してかなりしっかりした設定を作ってキャラに踏襲させている。下町出身のマインは貴族のローゼマインになるために、口調から身のこなしから全てキッチリ学習していく。

 

要するに、貴族社会を描くなら、その辺の設定も作者の力量が問われる部分だ…と。金銭価値や各単位の名称等も作者によってというか、まぁバッサリしたものが多い。プロとアマチュアと素人の違いは、その辺りの設定を練り込んでリアリティを出せるかどうか…だと思う。

 

正直、ハーレム作って「オレは~だぜ」とか上から目線で話したり、相手を「こいつ小物だな」的な裁量している主人公は「あぁ、無理だな…」って思う。主人公目線で何でも適当に評価して勝手に価値を決められてしまう…って流れが多いと思うんだけど、そういうのって他者を見下すスタイルに繋がることが多くて、お前、前世思い出せよ…って思う。

 

10は「パリィする」って作品を読んで、主人公がゴブリンロードをただのゴブリンだとか、ミノタウルスを唯の牛だとか、思って主人公が戦ってく話で、まぁ流石に勘違いが酷くて途中でリタイアした作品なんだけど、自分の力に無自覚で相手の力量も見極められない主人公が強いわけないんですよ。逆説的にそうした未熟な主人公がチートって作品に対するネガティブな評価なんですが。

 

勘違い要素をそれが面白いと勘違いしてる作者がいるんじゃないかなと思うんですよね。でそれをずーぅと続けていく、と。タイトルでこういう作品と細かく長ったらしく書いちゃうからそうせざるを得ないのかもしれないが…。

 

謙虚な態度も度を越せば卑屈になる…ってのを地で行ってる作品が殊の外目につくと思うし、意図してやってるなら、それはやめた方がいいと思う。じゃないとそれは読者のストレス要素になるし、1回2回なら良くても100話のだいたい全部の話で同じようなこと繰り返してると最後には見限ると思う。

 

「俺は相手を舐めていたんだ」「言い訳するわけじゃないが俺は油断していたんだ」とかいう独白が戦闘の度に繰り返されるとしたら、その主人公は精神的に未熟でしかも成長しないわけなので、もういいや、ってなると思う。

 

「Reゼロ」とか「本好き」はストレス展開が序盤結構あるんだけど、最終的に主人公が成長して「精神的に」lvあがって、それがカタルシスになってく、みたいな流れなら、まぁ耐えられるかもしれないんだけど、

 

例えば、スバルが学習しなかったり、マインが下町育ち上等、みたいに開き直ってしまったら…作品は評価されなかったと思うんですよね。まぁ、私はスバルもマインもある点では苦手だが。

 

スバルはレムを娶る予定(ヒロインも嫁にしたい)だし、マインは「家族最高。家族になにかしたら殺すぞ」ってキャラなので厳しい。まぁ両者とも私から言えば「うわー」って感想ですよ。マインは前世母親に孝行出来なかったから「家族大切にしたい。絶対」って思うのは分かるんだけど、経緯を知ってる読者からすると、マインの家族って敬愛に値するような連中じゃ無いわけで…。

 

まぁ、そう考えるとスバルの方が好きかもだなぁ。好きになって大切にしたいから家族になりたいんだ、と考えれば。

 

私は自分の家族のこと考えると、マインの考えには賛成出来ないんで。

 

まぁ、妙に家族関係で切れるなろう主人公は多いですよね。「俺のことは良い。だが家族のことじゃ許せねぇ」ってキャラ多いと思います…。一見、王道に見えるこれも、その家族が問題児だった…って場合は、違う見え方がするわけである。要するに家族が粗相したけど俺権力者なんで許せ。尚、慰謝料とかも払わないんで。という主人公が多い…。ヤクザか。

 

家族=ヒロインだったり、愛犬だったりする。

ちなみに現実でも、男が自分の女を特別扱いしており、何か手を出すと猛犬の如く威嚇する、攻撃的になるということが良くあると思う。

私のように愛情で結ばれることのない人間にはよく分かる。自分のことはいい。だが女のことを侮辱されるのは許せない。まぁ、そうなんだろうね。自分の所有物で特別なんだから。自分が殴られるのは良い。だが俺のフェラーリに落書きしたら許さねぇ…みたいな話だと思う。

 

要するに自己評価(自分の値段)は棚上げ出来るが、他者評価(自分のもの…所有物の値段)を棚上げ出来ないのである。そして、それを相手のためみたいな態度で守ろうとするわけだ。それは「エゴ」である。この間、無理心中した母子と同じである。この子のため、と言いつつ、実際は、それは自分の「エゴ」のためなのだ。

 

その論理は表面上上手くガードできているように見える。そういう表現は自分の目も眩ませる。自分に分からないのだから言い訳として都合が良いのである。そうやって、これが「正しい」と思ってしまえば偽りの正しさの旗を上げて自分を騙すことが出来る。結果として他人である自分の子を自分が殺めていい言い訳とすることが出来る。

 

家族を守ると言う主人公の言い訳である。彼は自分の所有物を守っているわけであり、本質的にそれは自分を守る行為と変わらない。自分がどうなってもいいなら、自分のものもどうなっても良いだろう。

 

「は?なんであんたが勝手に私のことを決めてるわけ?」というのが家族の構成員である個人の感想だろう。人は誰かの所有物じゃない、ということの分からない人が現実にもいるし、なろう主人公にもよくいると思う。大抵のハーレム要因が所有物として主人公により守られている構図は、まぁかなりよくお目にかかれるだろう。

 

「俺の女に手を出すな」みたいな台詞は相手(女)の意志を尊重していない可能性が大いにあると思う。この主人公が格好良く見えるのだとすれば、まぁ、それは「テンプレなろう主人公」病なのだろう…。

 

「俺に手を出すな!」これが正しい(´・ω・`)し、

「なんで私があんたに守られないとならないわけ?」

 

というのが正しい気がする。

 

成功作として数えられるであろう「無職転生」も私は主人公が「家族」というものを特別視しすぎてると思う。まぁ、その切っ掛けとなるエピソードがあるから納得は出来るんだけど。主人公は両親に対しては「家族」として雑な感じなんだけど一方で他の構成員に対する執着がキモい…。まぁ、一時は天下を取ってた作品だけど、若干エグい。ストレスフルな感じ。

 

いや、まぁ「なろう」って一部のプロが書いたと思しきもの以外は、有名作でもストレス要素あったりするけど…

 

まぁ、勿論、親子仲が良い親子も居るという認識は私も持ってるけれど、自分に精神的な問題がある場合に家族仲は険悪になりやすい。まぁ「無職転生」はその辺が結構リアルで最終的にやはり不器用で全部は片付けられなかった人なんで、あれだけど。まぁ「家族絶対主義」みたいな主人公だと私はストレス展開が多いかなーと思う。

 

自分が引きこもりだった、とか、無職だった、とか、低能だった、とか、まぁ家族と険悪だった人が、転生したからと言って、家族をリスペクトしたり仲良くなったり出来るかと言えば、私はその要因が自分にあったとすれば、やはり同様に険悪になりやすいだろう、と思う。

 

まぁ、そんなわけで私は「人生やり直し」としての「なろう」は、あまり評価出来ないと思っている。才能ある人が不慮の事故で死に、転生したらそれなりに俺ツエーする方が納得出来る。要するに無理に努力で成り上がるよりもう才能で良いんじゃね…という転換期があったんじゃないかなぁ。

 

『ナルト』が良い例だと思うんだけど、結局「生まれ」か…っていう。初期は自分の努力ルートだったと思うんだけど、最終的に開き直ってた気がする。「諦めないど根性」が実を結ぶなら「リーくん」が無双しても良かったと思う(´・ω・`)でも結局、ガイ先生もあーなっちゃったし…っていうね。

 

個人的には『タッチ』も何か才能じゃね…って言うね。カッちゃんは生贄にされたのだ…。犠牲の犠牲になったのだ…。そして南はタッちゃんの才能に気づいていたのだ…。死ぬ前から勝負は決まっていたのだ…南無。カッちゃん目線だとかなりハードである…。

 

過去を鑑みても、やはり漫画や小説は隠された才能があるルートが安定だと思う。最近は引きこもりやニート、無職ではなく、普通のおっさんが異世界に行く話が増えたと思う。やっぱ現実が「やっぱつれぇわ」ってことなんだろう…。FF15は未プレイだが、だいたいノクティスが可哀想な話だと理解している…。

 

Dr.storneはプロの書いたなろう系知識チート…と持ち上げつつ、最近良い作品無いなぁ、みたいな話

異世界科学チート…とさらっと知って視聴したんですが、かなり面白かったです。科学監修という方が居て、科学の力で○○した、というくだりに説得力があります。

 

また主人公は科学知識以外…体力・身体能力が低いという点は一貫しており、その辺の無双出来なさもいいです。結果として「マンパワー」が必要であるため、あるいは主人公の足りない…例えば工芸技術みたいな部分を補うキャラが出てくるので、主人公だけじゃ足りない…点を上手く描けていると思います。

 

一方で、司帝国に関しては司の知識がご都合主義過ぎる、と思いました。ライバルとして書かれる一方で行動の動機等が稚拙です。また人殺しにも関わらずストーリーの流れでは仲間になるそうです。その辺りも都合の良い人物だと思いました。

 

微妙に科学に造詣が深い点にしろ、思考が主人公の行動をトレースしたり等、科学を発達させない側として矛盾しています。主人公が言うように、科学の発展を妨げることは出来ない、と気づきそうなものです…。要するに対立させるキャラとして雑だと思います。

 

また、その通り名は刃牙を連想させます。純粋な青年のみ生き返らせるそうですが、なぜ世紀末覇者みたいな雑魚を蘇らせているのかも不明です…。「科学チートで刀を作りつつ、相手を殺さない」辺りには科学の科の字もありませんし、槍を作った方が効率良いです(無駄に刀の造詣に凝ってるし)。刀の作成の下り入れて欲しかったですね。そもそも門番は槍術使いでしたよね…。なぜそれを活かさないのか。

 

せっかく科学監修付いてるんだから、工程を早送りしたり、省略したり、するのは良くないです。やるならやり切らないと。科学チート描くなら妥協しちゃ駄目です…。

 

人を殺さない前提で行くなら刺股とか制圧系の武装を作るべきでしょう。反撃に刀でちゃんばらしたくせに敵が無傷…だったりというのもあり得ないですよね。相手の槍術がくるくる回してるだけだったり、バトルものとしては評価を下げざるを得ません。あんな回してたら突いても「決まりません」。更に自分の武器を手放して好きにさせる、なんて隙を前提として工作させる…というのも無理筋です。

 

科学チートだの知識チートだのというのは妥協した時点でおしまいだと思います。結局、作者の知識不足・見識不足という限界が見えてしまうわけです。まぁ、要するに今作も完璧とは言えない部分がちらほらある、という点は指摘しつつ、科学チートのくだりは実現可能性がある点で面白いです。

 

小説家になろう」では戦う→レベル上がる→戦う→レベル上がる…という話の展開になりやすく、大体はゴブリン→オーク→オーガと敵を代えてくだけです。

 

今作の場合は、それが科学レベルになってるだけですが、そこには科学という学問というか理が実在しており、現実の知識が下敷きになっている、という説得力があります。レベル高くしてステータス上げたら敵に勝てる、という分かりやすさとは別の、説得力があると思います。まぁ、なろうチートは知識か腕力か…になりやすいですよね。

 

あとは、まぁ食べ物の件とか、ユーチューバーが作って食べてみた、みたいのもあるんですよね。まぁ、それ見ちゃうと「ちゃうやん」と思うけれども。ただ大筋としては納得出来ます。

 

とは言えリアルに突っ込むなら科学発展させる以前に自然に殺されると思うけど…。ラーメンとか里の皆には供給出来ないですよ。多分。

あとまぁ、医者がいないからなぁ…老人とかなる前に病気で死ぬでしょ。巫女の彼女1人が病気ってのはご都合主義過ぎます。

 

『仁』以前の問題ですよ…。まぁ、そういう意味では『仁』の方が若干「ペニシリン」って言っとけば何とかなる感はあれど、完成度は高かったですね…。

 

…長いので分けます。

 

 

 

 

聖剣伝説3リメイクの評価

とりあえず2周しました。強くてニューゲームは最初の3人以外の3人で遊ぶと、レベル1からあげられるので良いと思います。あとは、まぁアニスとかサボテンとかをやっておくと、2周めはサクサク行けるかな、と。

 

私は一週目がリース アンジェラ ホークアイ

2周めが、ケヴィン デュラン シャルロット

 

でした。1周目はヒーラーがおらず、2周目は全体攻撃役がおらず、という感じでしたね。ただサボテンとアニス(2分以内はクリアしてない)をやっておけば、2周目雑魚戦は範囲必殺技で終わるので問題無かったです。

 

この時点での批判になるのですが、特技が少ないこと。ケヴィンとデュランには目ぼしい特技が無いので、通常攻撃と必殺技頼りになります。リースもほぼほぼそうですね。

 

ホークアイ(忍者)とアンジェラが全体+広範囲攻撃があるのでそれくらいです。リースも召喚術がありますが、光系のクラスで召喚取っちゃうと、敵変化させちゃう技があるんで、NPCがそれ撃って、例えばミミックを変化させちゃうと、ドロップ貰えない…みたいなことになりました。

 

全体的にAIが回避下手だったりもあります。まぁネット記事見る分にはアンジェラ無双の話が…。まぁ、一周目はアンジェラかホークアイは入れとくと良いんじゃないかなぁ、と思います。

 

キャラ的にはケヴィンとシャルロット、アンジェラが好きかな。性格が。シャルロットはまぁ外見が他女性2人に劣るのがあれかもしれませんが、素直な子供でカワイイです。

 

逆に見た目でリース選んだんですが、若干毒舌というか…。立場的にも微妙なんですよね。能力、地味ですしね。そんな訳でアンジェラが性格的にも魅力的なヒロインかなぁと思います。

 

2周目ケヴィンなのは、ビーストキングダム関連を見たかったからですね。あと優しい性格なのを知ってたので。で1周目ホークアイとアンジェラ選んじゃったので、消去法でデュラン・シャルロット加入でした。

 

まぁ、経験値3倍+2周目特典?がありレベルはマッハで上がるので戦闘に苦戦することは無いです。3人共覚えようと思えば全体回復覚えられるメンバー…というね。1周目のメンバー…。1周目はボス戦・道具残量との戦い。2周目は宝箱開ける度にアイテム99で捨てる羽目に。「宝箱を見つけ次第中身捨てていく旅人」という殆ど嫌がらせのようなプレイヤーですよね(´・ω・`)

 

おすすめアイテム

・投げ斧(ブラックマーケット)

アイテム消費無しがアニスから得られるらしいので、それを取れたらかなり有用かなと思います。まぁ無くても1戦で9回投げることもあんまりないですけど。デュラン・ケヴィンは遠隔攻撃無いんで、その辺埋められます。1800くらい威力出てましたし。

 

微妙だったこと

・ロード時間 聖剣3REの悪い部分の90%くらいがこれですね。マップ移動は快適なんですが、それだけにマップ切り替えに一々ロード挟むのがテンポを悪くしていました。シームレスだったなら、お遣いもそれほど苦にならず、名作として語り継がれたでしょう。

 

・必殺技硬直 2周目はだいたい広範囲必殺技で殲滅してくので、こう必殺技早送りみたいのがあると良かったですね。これもテンポを悪くしていた。

 

・攻撃部位が破壊出来ない 前足・後ろ足みたいにタゲれるし攻撃出来るんですが、HP表示無いし、壊せないんじゃね?って場所ですね。部位を分けるなら部位破壊可能にして欲しかった。

 

・前衛職に攻撃系特技が無いこと 前にさらっと言いましたが、非魔法職でもホークアイのように必殺技以外の特技が欲しかった。デュランとケヴィンは補助入れたら通常攻撃連打…というルーチンと化していた。みんなホークアイやアンジェラのように汎用的な特技を作るべきだった…。

 所謂、FF12現象のような感じである。魔法はあるのに攻撃特技がない。SAOにソードスキルが無いようなものである。FF7で言えば、クラウド達に武器習得特技が無いような感じである。

 

キャラ運用(1周目)

リース 光派生させた スターランサー経由に変更

ホークアイ 闇派生させた 忍者→忍者マスター

アンジェラ 光派生させた グランヴィナ(ダブルスペル)

 

アンジェラについては闇が強いのかなーと思っている。MP問題の解消までは光派生も良いかもしれない。ダブルスペルは詠唱も発生も長いからなぁ。ちなみにランク4戦はローリング回避を思い出すべし…。

 

ホークアイは忍者派生は最早鉄板とされてる感がある。無印の頃の曖昧な記憶から前情報無しにニンジャマスターにすることが予め決まっていた。前作聖剣3はホークアイ強かったという記憶しかない…。蓋を開ければ全体攻撃+デバフという有能過ぎ…非常に強力である。まぁ2周目は必殺技毎回撃てるんで一周目で輝くと思う。ちなみに雑魚戦なら忍術撃って即殲滅出来るので進行がスピーディ。

 

リースはバッファー(光)かデバッファー(闇)なので、ホークアイが居ればバッファー一択かな、と。ただスキル無しだと効果が薄いようである。またヴァナディースで覚えるフレイヤとかいう召喚術は私としてはトラップだと思う。敵を確率でHP1の鶏に変えてしまう…ため、ドロップ狙いの敵が変化してしまうと涙目である。そのため、リースのクラスリセットを心に決めた(遠かった)。ひとまず、召喚術を覚えない方向(スキル値振らない)で調整した。ちなみにスキル値振り直しはブラックマーケットで出来る。ランク3は光派生ならスターランサーにすべし。バフも戦闘中永続するし。

 

キャラ運用(2周目) クラスリセットが重いので2周目はネットで情報を得て、考えて決めた。一周目はイメージで。回復役がシャルロットだったし、アイテムも99個ある(戦闘では各9個までに制限される)ので、問題は前衛二人をどうするか。最初はデュランを盾持ち…つまり光派生させようかと思ったが、経験値3倍での攻略(途中から難易度ハード固定)がごりおせることから、火力が出る派生にしようと思った。シャルロットは光でも闇でもヒール+が撃てる。

 

ケヴィン 闇→デスハンド 闇闇が強いと聞いたので、火力が一番出る派生を選んだ。何れにせよ通常攻撃4回+強攻撃のコンボ連打である。ただチャージレジストはおすすめ。調べたらホークアイのスキルみたいだがリンクアビリティなので誰でも装備出来る…。

△溜め攻撃でバリアを壊すという場面が頻繁にあり、溜め攻撃を入れようとしたけど、攻撃食らって解除されてしまった、みたいなことがよくあるので、バリア解除メンバーにチャージレジスト付けとくとストレスフリー。単に崩されないで移動できるという移動手段としての運用も出来る。必殺技の広範囲攻撃が優秀。

 

デュラン 闇→デュエリスト デュランもケヴィンと同様、火力が一番出る派生を選んだ。闇派生は旋風剣というRANK2の必殺技が広範囲でコスト的に優秀だし、序盤から使える。あとランク3アイテムがデュランだけ中々出なくてlv50くらいまでランク2だった…orz

大抵の敵は初っ端・旋風剣これで終盤まで蹴散らせる。

状態異常の敵に威力UP・弱点属性を付くと威力アップというアビは前者はボスだと状態異常が付かない気がするし、後者は弱点が無かったりするボスも居たりする。

何れかと言えば後者の方が使えるが、私的にはクリティカル時ダメージアップを選択中。ケヴィンがクリティカル率アップのバフを覚えるので…。まぁ、話の殆どが精霊の話なので大体のボスには弱点属性があるのだが、2周目だとごりおせる。ただ弱点付いておけば短時間で勝てると思う。

 

シャルロット 闇→ネクロマンサー ブラックカースというallデバフ技があるので、それとあと遠隔攻撃手段が欲しかったということで闇派生にした。召喚魔法が使えるし、全体回復に全体状態異常回復があれば特に不満は無い。

とは言え、召喚魔法が必要だったかと言われれば、そんなには…という感想。まぁ、AIが使ってくれてたとは思う。範囲が狭いため、限定的だし、じゃあ斧とかカボチャと言ったアイテムを投げてもそんなに変わらないんじゃ…という。

2周目の道中が広範囲必殺技撃って終わりのため、必要性が薄れた感じがある。

 あと、シャルロットには経験値300%だとかMP戦闘後回復だとか、そういうパッシブ便利アビリティを詰め込んでる。一方でケヴィンとデュランは攻撃力UP系詰め込んでる。