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発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

最近のアニメの感想(昭和元禄落語心中)

昭和元禄落語心中 というアニメを見ている。まぁ、声優が良い仕事してる…とかそういうのは良いんだ。ただ、なんだろう。とてもホモホモしい…。

 

うたわれるもの』のホモホモしさは、まぁ許せるが、このアニメのホモホモしさは、ヤングブラックジャック(の絵)に通じる何かがあり、私は受け付けない。

 

漫画原作者は女性…と。BL作家…と。納得である。『グインサーガ』の40巻くらいからイシュトヴァーンとアリとの間に描かれているBL風の世界観と通じるものがある。

 

まぁ、それが分かれば私としては止(よ)いのだが…。ちなみに、今思いついた造語である。「もう止めとこう」→「止い」…あ、何気に「止(とめる)」ってゲシュタルト崩壊する字じゃないですかね…?

 

違和感…というか嫌だなぁと思うのは、感想が「素晴らしいアニメ!」という感じで言われるのが多いこと。反転して「BLなんかじゃない!」と作風を否定してやしないかな、と。

 

BLだけど素晴らしい作品。BLだけど…。

 

という感じ。BLって女性から見てどうなんでしょうね。私はレズものは嫌いですが。

 

男性でレズもの(女性同士の愛)を好む。

 

というのと、

 

女性でホモもの(男性同士の愛)を好む。

 

というのが要はマニアックだと言って良いのだろうか、という。だから、そういう趣味の無い女性は寧ろBLものを嫌だと感じるのだろうか。

 

私の感覚では男性 対 女性複数という「ハーレムもの」というジャンルの逆として男 対 男という「BLもの」が出ている感じがする。まぁ、この一方の男は「女性自身である」という解釈があるわけですが。

 

「レズもの」も割とそういう傾向があるものもあるかな、と思っていて『金色モザイク』のヨウコとアヤは「男性」と「女性」を暗示してると思う。

 

多くの作品の「ホモ」「レズ」ものというのは、本当のマイノリティ文化としての「ホモ」「レズ」では無く「男性」と「女性」の関係を

性ではなく愛として、対照ではなく同質として描きたい、という結果のジャンルだと思う。

 

要するに「ジェンダーは重要じゃない」「相手が重要なのだ」とメルヘンチックな主張をしたい。けれどキャラクターの造形によって、関係によって、逆説的に男女関係をなぞっていて「所詮はそれが男女の(動物的な)恋愛に過ぎない」ことを証明している。

 

という気がする。だから、本当にマイノリティで男性愛の男性が書いたBL本みたいなものを目にする機会は恐らく実際にはとても少ないのでは。

 

いわば「なんちゃって同性愛」なんだろうな…。少なくとも『昭和元禄落語心中は「なんちゃって同性愛」であってガチではない(と思う)。だから、私としてはガチな人に対して偏見を増やすんじゃ無いかという気がする。所謂「本物」の心理とは全く違うだろうと断言する。

 

だから、それが知りたいという人にはBL作品のホモを見ても誤解にしかならないだろう。BL作品はあくまでも(少なくとも一方が)宝塚的な男装をした結果に過ぎないだろうから…。

 

ちなみに『うたわれるもの』のホモホモしさは、単にネタとして冗談でやっている部分が多そうなのでBL風の(男性側から見て)本気の気持ち悪さはない。落語心中の作者は何というかプロBL作家であるのでその違いだろう…。

 

まぁ、正直、これが対象が女性で、ラッキースケベやら温泉回やらが過剰なアニメも私は好きでは無い。そういうアニメが要するにアニメ=下等なオタク趣味と見られるジャンルだと思うが…。

 

じゃあ、そういうキャピキャピしたグラビアエロアニメと比べて落語心中が「真のアニメ」かどうか(そういう風潮が見られるわけだが…)と言うと、原作がBLだから「男性向けか女性向けかが違うだけ」と言わざるを得ない…くらいには恋愛風描写が強い。

 

別に「そういうアニメだ」というのなら構わないのだが「これこそ真の(まともな)アニメだ」と主張するのは痛々しいのでやめて貰いたい…。

 

某ゲームで出来る限り自分にとって都合が良い相手だけが「真の仲間だ!」というくらい疑問である。

 

個人的には「まともなアニメ」を挙げるなら『うたわれるもの』を挙げる。ホモネタは増えたが前作と並べても(私は)安定して楽しめる。ちなみに鉄血のオルフェンズは切ってしまった。なんだろう見続けさせるだけの牽引力が足りない…。クリアする前に飽きるゲームみたいに。

 

昔ならそれでも最後まで見られたのか、途中で辞めてしまったのか、思い出してみても何とも言えない気がする。

 

ちょっと疑似ヤクザ任侠アニメは私向けじゃ無かった。『龍が如く』とか『GTA』とかどうも趣味じゃないんですよね。

 

最近思うのは女とロボ(機械・銃)が出てくれば男は喜ぶだろう…みたいなノリとか、ハードボイルド風ならとりあえず格好良いだろう、とか、そういう安易な作品が多いんじゃないか…という。

 

まぁ、ほとんどの人間は凡庸なんだろうから仕方ないっちゃ仕方ないけども…。ちなみに食事漫画やキララ系日常系漫画、異世界転生漫画とか二番煎じで利益に便乗しようというやつが増えるから=(イコール)駄作も量産されていくという構図だとは思う。

 

二番煎じで便乗、なんてのは結局、他人のアイディアに乗っかってるだけで自分のアイディアは無い=才能が無い、っていう詰まんない人ホイホイでもあるのだ、という印象…(´・ω・`;)何でもそうだけど時期を逃すと詰まんなくなるんじゃなかろうか…。

 

何というか、他人のアイディアだけ、という人は最初だけウケても続かないですよ。それ以上ネタが無いから。自分の表現じゃないから、自分で作り出しようも無いわけですし。

 

クリエイターは本当に仕事にすると辛いと思う。本気で「新しいものを生み出そうとしたら」自分の空っぽさを結局は突き付けられる訳だから。割とビジネスライクに割り切った方が上手くやれそうな印象がある。

 

人間そんなに表現したいものなんてあるわけないですし。少なくとも一人の人間に一生「新しい」仕事を生み出し続けられるだけの想像力なんてもんは無いと思う( 一一)

 

誰しも空っぽなんだから「新しいもの」を期待されても疲れちゃうんですよね(´・ω・`)一昔前はコミュ力、無ければオリジナリティ!個性!新しいものを作り出す力!想像力!リーダーシップ!と言われてたけども、普通の人にはコミュ力以外無いですね(笑)

 

私にはコミュ力すら無い訳ですが。私は「無い無い人間なので(笑)」「普通」を語る資格も無いんですけどね。できない人が「普通はこれくらいできるでしょ!」と語ってもな…、という。

 

「何か作りたい!」「一目置かれる人間になれるはず!」と思って「明日から本気出す!」と思ってる人がたまにいるけれども、一般的に普通のその辺の人たちはそういうモチベーションを持っていないと思う。

 

ただ日々が平和でありさえすれば良い( 一一)というのが大抵の人の結論では無かろうか…。大体、クリエイターが堕落するのは、上手く仕事を日常化(ルーチンワーク化)できなかったことが原因だと思う。

 

毎日が新しい日でなくてはならない、と思ったら生きていけないと思う…( 一一)まぁ、何というか毎日ワクワクして希望を胸に生きるとか無理だよね、という。

 

私は日常生活基本レイプ目みたいな状態が多いと思う。ハイライト無いやつね。茫然自失しているのがデフォだから。それが普通だとは言わないけれども…。大丈夫?って言われる。

 

私もアレですけどね。

ただ、たまにいるじゃないですか。結婚相手は面白くて明るい人。毎日が楽しく笑える日々じゃないと嫌。みたいな。私はハードル上げ過ぎなんじゃないか、と思う。私自身そもそもひと月に1度笑うかどうかというレベルだしなぁ…。

 

自分と同列を求めろ、とは言わないけど、毎日毎時間面白くて明るく元気で私を笑わせてくれる人というのは現実味が無いのではないかと思う。私は例えば自分といて明るく楽しくできる理由が見当たらない。そうなると人はスマホとか弄りだすわけですよ(´・ω・`)

 

どういう風に一緒にその場にいればいいか、と考えた結果、どういう行動が適切か、と思って、無関心を装うためにスマホを見るといった行動をする。それが適切かどうかはさて置き。

 

夫婦関係とか、色んな共同生活において、そういう無関心を装う行動が互いの空調管理に大切だったりすると思うんですが…。電車乗ったら分かりますけど(´・ω・`)

 

夫婦関係も家族関係も共同生活なら電車に乗ってるような部分があるわけで。その辺がキチンと分別が付いている人を選ぶと失敗しないような気がする。公私色んな分野で( 一一)

 

自分が暗くてうじうじした人間なのに、相手が面白くて明るかったらオカシイですよね。犬でさえ僕を慰めようと気遣って来ますよ(笑)僕のような万年悲観主義者相手だったら顔色を心配するとかね「TPOを弁えている人」の方が良いと思う。

 

まぁ、よく分からなくなったので、まとめとくと自分自身もそういうTPOがどこにどんな理由で存在するのか考えて知ろうとする努力を怠らないと良いと思ったりする。