LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

結局、MMOの経験としてはFF11が最初で最後だったのかな…という思い

FF14はどこかで言われていたけれど「大縄跳びゲー」なんですよね。そして、個人的な戦闘要素も如何にルーティンを間違わずに回すか、という単調さの繰り返しなんですよね。そして、敵側の攻撃に基礎知識が無いとまず死ぬという酷さ。これらがFF14を詰まらなくしてしまった要因であり、個々人の個性の喪失と自由度の喪失ですね。

 

FF11の問題を改善した…と言えそうだけれども、FF11ではそういう要素を含め、カオスを楽しんでいた部分がある。FF14はデザイン化され尽くしているので、想像を越えて来るということがまず無い。コンテンツギミックの予習やDPSを出すことが個人の責任として常に求められるから、コンテンツが増えるほど、覚える項目が増えて、しんどくなっていく。

 

結果的にハウジングやミラプリが一番楽しい、みたいな状態。RPGどこ行った。ルレ回さなきゃいけないから回す。ストーリー見なきゃいけないから回す。それだけですね。

ストーリーはとても良いと思うんだけれども、戦闘難易度が上がり続けるため、どこかで耐えきれなくなる。ゲームのラストダンジョンみたいなもので、そこに全てを集約されてもユーザーとしては「ストレス負荷が過剰に掛かってやる気を喪失する」という問題が起きてモチベーションが保てなくなるんですね。

 

pvpに関してはpvp風pvnpcを導入して、疑似PVPを楽しめるようにしてはどうかなと思います。これはどんなゲームにも言えることですが、難易度が高くなると私は対応出来なくなるんで、私のユーザースキルでは楽しめないのでってことです。練習すればみんなが上手くなれるわけじゃないし、誰でも頑張れば平均くらいにはなれるわけでもないのです。80%くらいの人間がそうだとしても、20%の人間は平均にさえ届かない。かもしれません。数字は主にIQ偏差に関して考えた場合の話です。境界知能では多分IQ100の人に勝てないでしょう。

 

努力の問題にすり替えて見ても、そもそも効率も要領もIQ差で変わって来ます。文章や問題の意図さえろくに理解出来ないのに勉強が成り立つでしょうか?私は数学の証明問題や文章問題の意図が読めず、それらは壊滅的で、宿題を貰っても宿題の範囲自体を間違えてやってくる有様でした。

 

IQが高い方のインタビューでどうすれば早いインプットが出来ますか/速読出来ますかと聞いたところ、ブレインボイスで読まないこと、みたいなことを言ってました。IQ高い人は斜め読みして、あるいはページ全体を捉えただけで、全ての文章を把握することが出来るのかもしれません。私は凡人以下なので頭の中で発声して読んでいるのです。

発声読みをやめることが速読の第一歩です。文字・文章を見た瞬間、文字・文章として意味を把握し、読み進めて行くのです。例えばの話、外国語の字幕映画を見てるようなものでしょう。脳内で声を発声して読むという方法では字幕に追いつけないので、少量の文字を目で追うことがやっとです。声の速読というより、その限定された時間の中で何とか意味を拾うという行為です。

 

IQが高く要領のいいインプットを可能にして多数の本や論文を読める人は、見ただけで概ね情報を理解する術に優れていると考えられるのです。そもそも人の思考自体、声で考えるタイプだけではないのです。映像思考や写真思考、音思考、文章思考等、色々な思考のタイプが存在していて、基本的に複数の思考様式を持つ人のIQは高いようです。

 

そんなわけで私の回線速度と相手の回線速度には雲泥の差があるため、兎と亀というのは現実的ですね。兎は勤勉でもあり、亀はマイペースだったりすると思うので、実際には周回遅れになり、才能のある人の技量は光の速度で見えなくなっていくわけです。やっぱスピード狂のストレイト・クーガーは真理です…。そんなわけでネトゲでもFF14はみんな平等を謳ってるがために、却ってプレイヤー間の能力差が顕著に出て私は脱落していく宿命なわけですね。過疎る格ゲー界みたいなもんです。要求される能力が自分に無ければ同じようにゲームを楽しむことは出来ないんです。

 

さて、やりこみ要素にしても、やりこみ要素でいきなり次元が違う強さを当てられた瞬間やる気無くなりますね。「やりこみ要素」こそ、最後までストレス無く遊べるようにレベルデザインをしっかりしなきゃいけないところだと思うんですよね。

 

FF14に関してはソロで「コンテンツ予習モード」を搭載して「コンテンツ攻略モード」を搭載しなきゃ駄目でしょうね…。この技はこういう能力でこう避ける。この敵はこういうギミック。このダンジョンは…というように予習モードを付けたら人口は増えると思います。フェイスで全部出来るようにして貰ってもいいですけどね。絶とかディープダンジョンも含めて。

 

私はネトゲFF11で対人経験値等を貰ったのでそれでいいかなって気がします。あれこそ最初にして真のネトゲでした。当時、ADSLに縛られて処理落ちしてやめましたが、それだけが無念でした。あと暗黒騎士誘われねぇ…(泣)とかね。FF11は無慈悲なところあったから、その無慈悲さに耐えられるだけの好奇心を持った年齢だったんですね。今じゃもうそれだけの理不尽にあっても続けられる熱量を注げないわけです。

 

昔は小説なんて朝までかかって読み切ったりしたもんですが、歳を取って、そういう無茶をしてしまうほどのめり込める小説は少なくなりました。ゲームや他の娯楽も同様です。アニメだってゲームだって朝から晩までぶっ通しでやれるだけの体力・気力が今は無いです。と言っても、クライシスコアリユニオンなんかは長時間プレイしちゃったな。本当に楽しい作品にはのめり込める。30時間くらいやったけど、やっぱ動作性IQの低さがプレイ時間に反映されてる気がしますね。

 

 

生きたくても生きられなかった人もいるから死にたいとかいっちゃ駄目とかいう理論

まずひとつ言えるのが、それ君の意見じゃないよね…ってこと。

私が10代の頃でさえ、そんな理屈は聞いたことあるし、周りがそう言ってるから、そんな理屈で「自殺はいけないこと」って言いたいだけだよね、と思うね。

 

生きたくても生きられなかった人もいるだろうけど、

死にたいけど死にきれなかった人もいるねん…と。

 

ごっちゃにしてはいけないですよ。毎年どれだけの人が自殺するか知ってれば、こんな理屈が出てくるわけないでしょ。何かしらの事情で死にたいから死ぬんであって、生きたいとは思っていない人たちが死ぬんだから。

 

世界中の9割の人が死にたい世界で1割が生きたくても生きられない人だったとして、だから何?って感じですよ。

 

アフリカの子どもたちが云々みたいな…。適当に拾ってきた情報を適当な理屈としてくっつけて最もらしいこと言うのやめてくれませんかね…ってくらい脳死してると思う。

 

あと心が弱いからそうなる、とか君はブラック企業の申し子なの?と思う。人の心なんてものは人体の急所と同じでそうそう鍛えられないんですよ…。好き嫌いは良くない!だからアレルギーのあるものだろうと好き嫌いせず全部食べろ、みたいな話。

 

それこそ死ぬだろ、って話です。

 

 

 

80・50問題と殺人事件

「殺人をする人間の心理なんて理解出来ても納得できねぇよ」

 

と某名探偵はおっしゃったそうですが、匿ってきた引きこもりを撲殺する事件をちらほら耳にします。今回は殺害された人間が「怖かった」と言ってましたが、「暴力性」のある人間の処置は難しいものがありますね。

 

強度行動障害とかですね。キレやすさとも関係があると私は思います。自尊心が高く、慢心しており、常に自分は被害者だと考える。そんな印象を持ちます。表面的な印象は我儘と傲慢ですね。まぁ、逆に自尊心が低いから、それが起こると考えることも出来るのかもしれませんが…。

 

見てる感じ、家族にだけ暴力を振るう内弁慶型の人間ですよね。社会では暴力を振るってはいけない、と考えているのかもしれないけれど、なぜ家族には威張りちらし暴力暴言を振るっても許されると考えてしまうのか?

 

私はその辺りにその人間の甘えと幼稚さを見出しますが…。相手を選ばず乱暴でも乱闘でも引き起こすというのなら理解できるけど、相手を選んでそうした暴走行為をしてる場合にはもう意図的ですよね。

 

毒親とか親がちゃとかいう言葉は流行って、それが否定される文脈自体が否定されるものだから、暗黙の了解というか、事実として広がりを見せている気がしますね。努力出来る環境すら「ガチャ」の結果である、と。強度行動障害の場合は正に「親がちゃ」の結果あるいは「遺伝子がちゃ」の結果であり「こんなはずじゃなかった」というやつです…。

 

重度知的障害みたいな場合は仕方ないけど、知的障害のない自閉症辺りの場合の暴力性は、育ちの中で許されてしまった結果みたいに自分には思えますね…。自分をまともだと思っているヒステリックな人間はそれを他者のせいにするべきではないですね…。

 

人間は自分の分を知る必要があると私はよくよく思います。環境が個人を作りそれに自縄自縛されている人を私は何人か知っているので、他人を操作しようとするより、環境を変えたらいいのに、と思いますね。

 

計画的に引っ越して連絡先を断つみたいな手段は隔離したい人間がそれなりの知的能力を有している場合には有効でしょう。その上で福祉と繋がるように計画すればいいだけです(それが難しいこともあるでしょうが)。

 

強度行動障害の場合はどうみても福祉的介入が必要でしょう。こんな症状の人間を個人の責任に任せるのは死ねと言ってるようなもんです…。老老介護みたいな決壊することが分かったうえでの̪しかと行為…要するに無茶振りであり、放置プレイであり、見捨てるってことですね。

 

コロナワクチンを有料化にしましょう、みたいな運動、発言も弱者を見捨てる方針ってことですから、世の中は混沌と化し、モラルも平和も治安の良さも何も無くなってしまうでしょう。結局のところ「国民を誰も見捨てない」国でなければ治安も守れないんですよ。

 

それは首相暗殺事件で表面化した問題でもあると思うし、あるいは海外の安い労働力を使い潰して来たような自分たちさえよければそれでいいというモラルで会社運営してるようなとこから出て来る問題だと思いますね…。

 

自分さえよければいい、っていうのを政治信条にした国なんてのは戦国時代と変わらないでしょ。転売屋問題も漫画村運営者の理屈もそういうことです。要するに椅子取りゲームで負けたやつは死ね、って話です。

 

その程度のモラルや道徳性しかもたない愚かな人間の構成する社会なんてのは、世紀末覇者の世界と何も変わらないと思いますね。椅子取りゲームなんてのは生まれる前からガチャとして始まってるんで生まれた時点で勝敗付いてるんですよ。自分だけ宝くじを当てて億万長者になったところで衆生は見捨てられたままなんで、退廃世界においては泥棒や強盗に殺されて奪われるんですよ。

 

運が無かったと諦めるんだな、なんていう人間ばかりな社会はまともな社会からは最も程遠いものでしょう…。いずれ法なんてバレなきゃいいという人間が海賊行為で荒らしまわり、一部の運の良い人間を物理的に搾取して排除し国家毎海に沈めるでしょう…。

 

運ゲー肯定論者は少ない椅子に座れたラッキーマンに過ぎないので、運命に対する復讐者に討たれる覚悟をしなきゃいけないんですよ。でなければ、運の良し悪しに関わらず国民全員を何とか助けようとしていかなきゃダメでしょうね…。それが保険の考え方だし、無法にならないためには衆生を救おうとする政治を行わないとダメなんだと思います。

FF14等に見られる飽き現象に関して

朝3時くらいから物を書いてたら15時間くらい経っていた件…やばい。

自分はこれを論文現象と呼ぶ。小説家とかならわかりそうな状態。一日6000字くらいは普通に書けなきゃなあ的な人は、そのくらい書くと午前から午後にタイムワープしてると思う。

 

ツイッターとかなんかこう見る層がエタ―なって来たのでブログにまとめてもいいかなって思ってきた。いや、どうせ発達系界隈のひとしか見なかったりするのかもしれないが。

 

私は精神障害ありますよ、って言ってるけど、だからそれ関係ばっかり書きますねってタイプじゃ無いんですよね…。というか最近は障害とかどうでもよくなってきた。ああいうのは台風が直撃している人が直撃してる状況を報告しているものであって、台風の目にいる人は安全圏にいるんで、割とどうでもいいんですよね…。

 

本題に入るけどFF14飽きたわ、って話ですね。いや、最近のゲーム詰まんないの多いですけどね。FF14は無駄に脳トレゲーだからネトゲっていう無限高層建築化様式と基本的にミスマッチなんですよ。

 

それこそ絶ルーレットとか作ったら分かるでしょ。クリアできねー、クソゲーだって。

FF14クソゲーってことじゃないですよ。一応そんなルーレット無いし。とりあえず次のディスクも次の次のディスクも基本同じ建築様式を積み重ねるだけってことが予想できるんでやる意味無いんですよ。それって、結末を知ってる苦痛を伴うゲームを2回プレイする意味無くね?ってことです。私はシミュレーションゲームとか複数回遊ぶことを想定して作られてるゲームが好きですけど、あんまり無いんですよね…。

 

結局、最善解みたいのが出来ちゃって。

 

どうせ次のディスクもストーリーくらいしか見るところ無いでしょ。lvキャップ10くらい外して2~3個スキル増えただけじゃ何も変わらないし、横並びのために様式美が優先されて、新しいことに挑戦できなくなってる感があるんですよね。挑戦したところで無人島みたいなちっさいミニゲーム追加されたところで大勢に影響無いですし。

 

ライトユーザーからすると絶だのゼロ式だの増えたところで、不可侵領域が増えるだけで意味無いんですよ。そして、そんなところにばかりお洒落アイテムを積み込む姿勢だから、ライトユーザーがお洒落出来ない無課金勢みたいになってるんですよ。そりゃ、課金してるのに無課金勢になるんだから、やる人減るわ…。だってお洒落して個性だして遊ぶのがオンラインゲームってもんだからさ。ミラプリとかハウスとかで承認欲求満たすのばっかりじゃん。あ、この人ライトゲーマーで初心者だなって思われた時点で舐められるんですよ。そして、予習文化があるからググって動画見て攻略法唱えられるようになってから出直せっていうわけでしょ。

そういうコンテンツが毎回ディスク増える度に階層的に積み重ねられるものだから、記憶力とか一々予習しなくちゃルレも回せないとかいう状況にライト勢を追い込んで、追加verUP4か月とか毎だから4か月放置でいいや、って思ってると、操作法やゲーム内容忘れててまた予習の必要性が生じたりするんですよ…。

 

それをずっと延々と繰り返しているんで、無駄じゃね?とか心的苦痛じゃね?とか思ってエターナルんですよ。解苦とか言ってる場合じゃないですよ。要するにサザエさんとかちびまる子ちゃんとかドラえもんとかクレヨンしんちゃんとか名探偵コナンみたいなコンテンツ化しちゃうわけですよ。

 

もうなんかコナンとか見てると鬼滅の刃みたいにさっさと無惨様斬れよって話ですよね…。だからコナン好き芸能人とか絶対アニメ好きじゃないだろうなって思いますね。昼飯旅とか見てる感じでしょ…。いいとも見てるようなもんですよ。

 

1つのアニメしか見て無いんだからアニメオタを名乗れるはず無いんですよね…。ファーストしか知らないガンダムオタクみたいなもんです。シャアを知ってるからなんなの?って話。あー、仮面キャラは様式美だよなぁ、とか語れるレベルじゃないとガンダムファンは名乗れませんよ…。ファーストファンって言ってください。

 

そんなわけでね、FF14名探偵コナンは非常に近い構造を持ってるわけで、そりゃ飽きるわってなる。寧ろ飽きない人はどっか鈍いのかなって思う。アムロとかシャアが出て来るからなんなの?っていう。今は水星の話してるんだぜ…。最初からユニコーン風ビット使うとかもうね…。

 

そういうものに追いすがってると時代に取り残されるんですよ。てなわけで14はもういいや。なんならps4にユフィ出さない、ハードモードにしか取れないアビくっつけてるFF7も自分は断罪します…。簡悔とか、プロゲーマー仕様みたいなゲームは絶対一般向けしないと私は思いますね…。

 

オープニングからエンディングまで綺麗にエスコートしてくれるゲームが至高だと思います…。漫画的には鬼滅の刃みたいな…。今やってるスマホゲーも超レアが無いとこれ以上進めませんとか、事実上エターナルな存在ですよ。なのでエタりました…。

 

まぁ課金させる仕組みなのか分かんないですけど、自分はクリアできないゲームにそれ以上用は無いです。あとディスガイア的ゲームもやっぱり自分は詰まらないですね。

 

無限に育てられるから何なの?って感じで。結局、システム的には同じこと無限に繰り返させてるだけでしょ…。それってlv99までひたすらあげるだけのゲームと何が違うのって話なんですよ…。「やりこみ」とか言ってるけどただの「コナン時空」ですよ。

 

毎日雑な動機の殺人事件が近所で複数回起きてる現実風異世界空間に閉じ込められてるようなもんです…。

 

なろうとかでも多いですけどね…。無限レベルアップ系は。どうせ勇者とか神とか悪魔とか神話的なキャラとかと戦うんだろ。転スラはヒットしたみたいだけど、以降なろう界は類似品しか出ないから…。

 

地道系とかもあるけど、どうも地味過ぎてなぁ…。結局ワンパンマンみたいのが流行るんだろ…。無駄に趣向を凝らさずアンパンチでバイバイキンしとけばいいんですよ…。

 

とりあえず何もまとまってないけど、区切りが付かないからこの辺で…

十二国記 白銀 読了感想

まぁ、なんというか…3巻までに積み上げてきたものをぶちまけた感が凄い。

みんなアセンにやられちゃったけど、各地で忍び機を伺ってますよ…

からの

驍宗連れ去られ、からの、無謀な奪還作戦でほぼ全滅とかいう。

いや、長編3巻かけて下地作っといてそれくる?って感じ。

しかも、民が苦しいながらも頑張ってる描写しつつ、4巻ではその民がアセンに騙されて本物の王に石投げて殺しますよ、的な衆愚が描かれてるだけ。

 

驍宗やっと最強のポケモン入手して出てこられたのに囚人→死刑とかいう流れ…

 

でアセンの考えも破滅的だし、こんな刹那的な気分屋人間が今までよく将軍やってこれたな…って思いました(´・ω・`)

 

ロウサンも限りなく戦犯というか焚き付けてるし、そこの真意が語られないまま本編終了してるし。

 

ホヨウとかも大分したたかに暗躍してたのに雑に殺されてるし…(死んだのだろう的な)。なんというか、こういう登場人物いまーす→10秒後、死にましたー。現実は無慈悲!非情!残酷!

 

みたいな…。話の内容的には、

 

泰の極寒限界生活記7割、メインストーリー3割、みたいな感じ…。読者としては驍宗無双とタイキ君のやっと救われましたわー、とかアセンと驍宗が対峙して最後どうなる、ってとこを読みたかったのに、その辺、最後の総括の1行だけなんですよね。

 

長編4巻やっときながら肝心な部分は「アセン討たれる」だけみたいな。いや、そこ重要だから!あんだけ驍宗に対する複雑な対抗心語って王位を盗みながら、国とか興味ないわー、って理由で荒らして、自分に逆らうものには容赦せず、みたいなヒステリックムーブしときながら、やっと7年越しでやる気出したのに、驍宗も出てきて自分が凋落してくっていう肝心な部分が書かれない、というのはちょっとどうかなーって思う。

 

各国が泰を支援してアセンを討つ、っていう流れこそ読みたかったわけで…。何かもう我々はボロボロに負けたし最後くらい驍宗様と一緒に名誉の戦死するわー…ってところをひたすら書かれて、ページ数もう無いし、えっ、これもしかしてここまで終わるの?ってのが感想だなー。他者の感想だと流石に5巻目あるでしょ?っていう。無いんだなー…。

 

(´・ω・`)いや、読者としては、文州城おとす!驍宗取り返す!兵を立て直す!アセンと対峙しラスボス戦戦う!その後の復興の話!

 

って辺りこそを読みたかったんだけど。ほぼほぼタイ国のマジ冬キツイわ…辛い、って話だった感…。

 

驍宗取り戻せない!死刑にするってよ!けど取り戻せないし兵力足りない詰んだ!ちくしょーもう全員名誉の特攻だ!何かよくわからないけどタイキさんが暴れて偶然助かった!城で一息ついた。他国の王(チート)来たし多分勝てる!俺たちの戦いはここからだ!(完)

 

あとがき(まとめ)アセン討たれる

 

あっ、うん。負けたのかアセン…。読者に分かるのはそれだけという。なんだろう。物語のハイライトは察しなければならないのかな。正直、昔昔タイ国は貧しく冬は寒く、生活は荒廃し民は苦しい生活を強いられていました…終わり。みたいにも思える。

 

読みたいの、そこじゃないんだ…。

 

 

エルデンリング 途中経過 感想

エルデンリングやってます。

 

ダクソは終わり!新しいゲーム出します!

→フレームはほぼダクソじゃん…(´・ω・`)

 

っていう感想ですね。まずは…。

 

まぁ、めっちゃ自由度を上げたダクソ、って感じです。

個人的には高評価しますが。まぁ、セキロ2みたいのがしたいです。

そもダクソ系は全部のダンジョンが所謂エルデンのレガシーダンジョンだったので、一つのエリア毎の攻略でかかるストレスが結構高かったんですよね。

 

エルデンリングだと小規模ダンジョンが多いので、一箇所に留められ続けてしまう、ということがあんまり無いような気がします。ボリュームが半端ない気がしますね…オープンワールドゲーとしても。まぁ、いろんなアイテムが分散されてるので、アイテム集めとかは難しい気はします。

 

進捗としてはラダーン祭が終わったとこですね…。なんか慈悲の短剣ずっと使ってます…。拙者、侍なのに。ラダーンも慈悲の短剣で倒しました…。レドゥビアは何か使って無いな…。慈悲の短剣を出血仕様にして使ってますね。ソウル稼ぎの戦車ワンパンするために付けてるのが常態化した感じです…。

 

まぁ戦技を血の斬撃にしてます。つまり、短剣と見せかけて長剣並みの射程があるのだよ…というロールプレイ。インビジブルエア的な…。普段はただの短剣。

 

狭いダンジョン等では引っかからないので短剣はいいですね。流石に騎乗戦では使えないですけど。

 

ラダーン戦勝てないって言う人多いですが、私は2,3戦で勝てました。lvは75くらいかな…。そこにステータス盛ってる。今回、色々な手段でステータスブースト出来るんですよね。大ルーンとかタリスマンとか霊薬とかで。

 

まぁ大ルーンは1回4000ソウルとかの有限アイテム使用するので、勝算が見えたら使う感じですかね…。ラダーンはとりあえず死ななければ何とかなる。

 

多分、生命40くらいあると即死はないんじゃないですかね…

 

とりあえず弓を避けつつ召喚しまくって祭を開催するしかないですね…。

で後半辺りで結構見方死んでるけど、またサイン出てたりするんで、後半戦も召喚して祭を再開すると、タゲが分散して勝算が上がりそうです。

 

私は祭参加メンバーの陽動からの背後からの血の斬撃で倒しました…。ナーフされそうな威力で怖いですが…血の斬撃とかセキロ感(´・ω・`)奥義不死斬り…

 

 

地頭の良さとはどういうことか、という個人的な意見

地頭の良さ とは「生来の頭の良さ」である。そして、この頭の良さは、人生を生きやすくする。要領の良さ、機転が利くこと、文脈が読めること、物事を飲み込むコツを弁えていること…といったものである。

 

いわば、それはある意味では数学的能力である。数学には必要な能力がある。それは正しい問いを立てること、問題を正しく理解すること、証明すること、効率的合理的に計算すること…である。

 

そうした数学的能力を現実の生活において発揮活用出来る人が私的には「地頭の良い人」である。

 

その能力が優れている程、人生の様々な選択も正確になっていく。逆にその能力が低ければ、先見の明がなく、その場の曖昧な判断に則り人生を決めてしまうこととなる。

 

これは生来の頭の良さである。そして次点は国語的能力である。言葉で考えることが出来なければ熟慮することは出来ない。したがって、思うに、地頭の良さ、生来の頭の良さ、だけでは十分ではなく思考に必要な国語能力や情報によって活かされる能力である。